梵鐘

母の忌を修し一打の秋の鐘

昨日は母の命日。

五回忌に当たるので特別な法要はしないで、母を弔ってもらった寺にお参りだけさせてもらった。
三輪山の平等寺さんには鐘楼があるが、ここは誰が撞いてもよいので、祈りの気持ちをのせて大きな鐘を撞かせてもらった。境内はもちろん、寺の前の山辺の道を行く人にまで十分届くような素晴らしい響きで、自身もしばらくその余韻のなかに身を委ねることができた。

“梵鐘” への5件の返信

  1. お母さまは秋のさ中に逝かれたのですね。
    鐘の音が天のお母さまのもとまで届きますように・・・

    下の欄の関連記事を読んで昨年を懐かしみそしてお母さまとの同居の日々を偲んでおります。

    1. 飛鳥寺の鐘の音は素晴らしく澄んで、今さらながら名鐘だと思います。またいつか撞いてみたくなりました。

      昨日は「後の月」、通称「十三夜」ですが、よく見えませんでした。今晩は素晴らしく空が澄んで、見事な月です。

  2. 素晴らしい鐘の音だったでしょうね。想像できます。
    よいご供養になりましたね。
    きっとあちらのお母さまに鐘の音とともに心が届いたことでしょう。

    1. 鐘は時を告げるなど「合図」という機能がありますが、広島の「平和の鐘」のように「鎮魂」「祈り」という浄い気持ちを表現することもできますね。
      鐘の余韻にひたれば自分も浄化されるような、そんな気持ちになります。
      鐘の原型は銅鐸に見られますが、縄文の時代から「聖」なるもの象徴として今につながっているんですね。

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