古さの残る

コンバイン公道行ける豊の秋
収穫や県道塞ぐコンバイン
レンタルの農機出払ひ豊の秋

「収穫」と書いて「とりいれ」と読む。

「稲刈」の傍題である。
(俳句では名詞には送りかなをつけないのが原則である。動詞「稲刈る」の連用形「稲刈り」と区別するためである。)

今、大和盆地は稲刈りの真っ最中。この週末はおそらくピークを迎えると思えるが、今週は天気がちょっと心配なところ。
田の広さに比べるとえらく立派なコンバインが、あちらこちらの田で見かける。飛鳥や三輪方面に行くとき必ず通る県道には某農機メーカーの営業所があるのだが、いつもなら機械がいっぱい並んでるヤードが今日はほとんど空っぽ、農機は出払っているようである。
県道の何カ所かにはコンバインが県道を通ったり横切った跡とみえて、泥が点々とこぼれていたし、稲刈りを終えたコンバインや軽トラが渋滞を引き起こしたり、それでも誰も文句を言わない。

春や秋には公道をナンバーのない耕運機が何事もないような顔をして、のんびりと堂々と行き帰りする。大和にはまだまだ古い部分が残っている。

“古さの残る” への6件の返信

  1. 「俳句では名詞には送りかなをつけないのが原則である」
    これも新知識である。
    だから濁り酒ではなく濁酒。
    さあ今からプレバト、どんな句が出てくるのか楽しみである。

    大和ではやはり収穫が遅いのですね。
    我が家ではもう新米が食卓に並んでいます。
    農機具は両親が農業をに携わっていと頃とは隔世の感有りですね。

    1. プレバトでは「秋の声」を迂闊に使って叱られていましたね。これは「音に出ない声」で、実際に聞こえない声を詠むのが王道です。なまじ実際の音や声を「秋の声」と呼ぼうものなら大抵は失敗します。上級者しか扱えない季語ですね。

      公道に米袋を積みあげて。米袋は今は紙製だし。稲刈りの様子は様変わりでしょう。

    2. 同じく、プレバトで梅沢名人の「ライン引き残して釣瓶落としかな」。これは二つの解釈ができるとして、「ラインを引き残して」と「ライン引きという器械を会場に残して」としていました。
      俳句の「名詞には送りかなをふらない」原則でいけば、後者を「ライン引」にすれば何ら解釈が分かれる必要がなかったのです。だから、私はてっきり前者のほうと解釈したのです。
      後者だとして昇格がなった句ですが、前触れの写真とか運動会の話がなければ、とてもそのようには読めないですね。

      1. 連れ合いもラインを引き残してと解釈していましたが私は映像から名詞の解釈をして意見が別れました。
        そうですよね、送り仮名があるばかりに紛らわしいですね。

  2. 大和は稲刈り真っ最中ですか。賑やかでいいですね。当地とは1ヶ月半も違います。今は青田(穭田)真っ盛りです。

    稲刈りも機械化で稲架の光景なんかもなくなりましたね。小学生の学習用田んぼがあってそこだけ刈り取った稲が架けられてます。昔は随分手間がかかった。それだけ収穫の歓びも大きかったのでしょう。

    1. 急に季節が進んだので、当地では今年は穭田は見られないでしょうね。

      籾のついてない藁だけの稲束を広げて乾燥している風景がところどころに見えました。藁を刻まないで刈り取りと同時に脱穀するなんて、機械でできるんでしょうかねえ。それとも手刈り?

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