神杉の渓に傾げて霧深し
屋久島杉など、およそ大杉というのは、どんな斜面でも普通直立しているものだ。
ところが、ここ丹生川上神社の千年杉は社前の丹生川に向かって傾いているのだ。
光の向きや、脊山からの風向きなどの影響かと思われるが、30メートル以上はあろうかという大杉が、まるでピサの斜塔のように真っ直ぐなまま傾いている光景はちょっと他に見ない。
奥吉野の水が豊富な場所であり、雨でも降ればさぞ幻想的なシーンに生まれ変わりそうだが、罔像女を祭神とするだけに、朝霧などであたりが白く烟るといっそう神さびた趣に包まれることだろう。
ここ数日、hodakaさんの句を愛でながら郷愁に駆られていました。
タイミングよく家人が休みが取れたから墓参りに行こうと誘ってくれ軽々と腰を上げました。
墓参をすませ矢頭山の中宮へ、見事な大杉を見上げてきました。
まさに「神さびる」です。
そのルーツは1260年余昔、文武天皇の御代とあり天上の虹(里中満智子)の世界です。
トンネルを抜け君ケ野ダム湖で遊び墓苑でもう一度お参りし温泉につかり久居梨を買いウナギを食べて帰りました。
助手席は気楽でいいな~
日帰りでも充実した一日でしたね。
たまには大自然の懐に飛び込むのがいいようです。できるだけ人の手の入らない、自然の偉大さを感じるようなところ。
行くたび洗われるようです。
8月も今日で終わり、すっかりご無沙汰ごめんなさい。
大杉が斜めに。それは不思議な光景ですね。「神さぶ」ですか。なるほど。「神のように」「神らしく」との意味ですね。「~さぶ」という接尾語いかにも日本語らしいと思います。
先日の三浦先生の古事記講義、アマテラスとスサノオがどちらが正しいか「ウケヒ」を行った場面でアマテラスが一方的に勝ちを宣言、異を唱えるスサノオが「勝ちさびに」乱暴を働くという箇所がありました。「勝ちさびに」=「勝者が勝者らしく」と読むのが通常だろうが「勝者でないのに勝者らしく」とも読める、この辺が古事記の面白いところ、難しいところとのこと。「~さぶ」古来からの日本語だったことを知りました。
なるほど「勝ちさぶ」ですか。調べると「翁さぶ」という言葉もありました。「〜らしき」には微妙な意味も含んでるんですね。
万葉集巻四762
詞書「紀女郎が大伴宿祢家持に贈れる歌」に、
意味「年を取ったと言って断るものではないが、もしかして、仮に会ったとして後で寂しくなるのではなかろうか」。
「神(かむ)さぶ」の「神」という意味が薄れて、単に古風な趣がある、年を経ている、老いている、という意味に使われるようになったことがよく分かりますね。
「さぶ」から派生して「寂ぶ」「うらさぶ」「ものさぶ」などにつながっていったとも考えられるのではないでしょうか。
言葉の変遷というのは調べれば調べるほど、深みにはまっていくような気がします。