鳥に食わせる

芋虫の大きをここまで見逃しぬ
芋虫の踏むに忍びぬ太さかな
芋虫の太きは鳥にくれてやろ

青虫である。

芋虫の葉にいるものを言うが、蛾の幼虫であればその他の葉っぱを食い荒らすものも詠んでよさそうである。
蝶などは柚子などの柑橘類、山椒など、香りの高い葉っぱに来ることが多い。揚羽や蝶の幼虫は、小さい奴でもピンセットなどで抓めばツ〜ンとくる甘酸っぱい匂いを出して防御をはかるのは、放屁虫同様である。
すっかり大きくなったのは踏みつぶすのも憚れて、道に投げて鳥に拾ってもらうようにしている。

“鳥に食わせる” への4件の返信

  1. 柑橘類はことごとく虫にやられる。
    どれが蛾になりどれが蝶になるのかよくわからないが金柑とミカンの虫はどうも違うようである。
    「一寸の虫にも五分の魂」なんて言いますものね。
    むやみやたら踏みつぶすのは躊躇われますがゴキブリと蚊は別です。

    昨日に続き「泥の河」を観る。
    時代はS30年代初頭、小学校三年生と五年生の三人の子どもの出会いと別れ。
    私が育った時代と重なるが環境は似ても似つかない。
    原作は宮本輝の川、三部作のひとつ、監督は小栗康平。
    ラジオからは赤胴鈴之助の歌が流れ子どもの遊びは自転車の車輪廻し、ふたを切った缶を足に履いて歩く、身に着けているものはランニングシャツ。
    もはや戦後ではないといいながらもまだ戦後の貧しい生活を引きずっていた頃。
    輝さんの子ども時代の記憶の欠片を小説にしたものと思われる。

    同年代の女性がハンカチを目にしながら「いい映画でしたね」と涙目の私に話しかけてきたので「映画っていいですね」と私。
    30数年前に観たときよりずっと感動は深かった。
    次回は黒澤作品を観よう、洋画、邦画を問わず昔の作品の方がいいような気がしてならない。

    1. ベランダにおいたレモンがどうにもなりません。蝶の幼虫にやられて毎年半裸状態。
      庭の柚子は葉っぱが多いせいか、食われても大きな実害はないようです。

      輝さんは同世代のはず。だから、赤胴鈴之助も,ランニングシャツも、半ズボンも同じなら、空き缶の馬も、リム回しも重なります。一気に昔が戻ってきました。

  2. 「腹ペコ青虫」なる童話がありますが、なかなかの作品である。ことほど左様に親しまれている青虫ではあるが、大きくなりすぎるとこれはもうたまりませんね。でも毛虫ほど毛嫌いはしませんがね。

    「御山のひとりに深き花の闇」

    なんともすごい俳句である。寂聴95歳の句集「ひとり」の中の一首。
    黒田杏子が紹介している。(9月24日付け日経朝刊)
    曰く。
    「私が寂聴さん一台の代表句と仰ぎ、長らく愛唱、口ずさむたびに全身に稲妻が走るのは「花の闇」の句である。
    この句を示された時、私は身の震えが止まらなかった。文人俳句などではない。この一行こそ瀬戸内寂聴の人生。専門俳人の誰がこんな句を詠めるであろうか」と。

    この句の背景には、みちのく天台寺住職としての20年間、広大無辺の原生林の山上での「ひとり」の夜の生きざまがある。

    1. この方の人生には澱のようによどむものがあって、それは、同じく朝刊紙で紹介されている、

      子を捨てしわれに母の日喪のごとく

      にはっきりと現れていると思います。
      花鳥諷詠とはまったく異なる、おのれの心の叫びを季語に託して詠んでおられる。これもまた俳句のひとつの型であるとも。
      いまの職業俳人にこれほど自分と向き合える人はいるのかどうか。杏子先生がそう言うんだから、やっぱりそうなんだろう。

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