天泣のごとく降るなり秋の蝉
ようやく法師蝉の声を聞いた。
それも自宅の壁にである。
いきなり頭上から降ってくるものだから、最初はどこからか分からなかったが、聞けば聞くほど声は近い。二階の壁の辺りであるが暗くなりかけているのでさだかには見えないが、間違いなくそこにいる。
ところがいったん家の中に入ってみると声が聞こえない。機密性の高い二重ガラスを閉めて一日中エアコンをつけていると気がつかないのだ。たまたま夕方の散水で外に出て気づいたのであるが、ズボラを決め込んでいると聞き逃すところだった。
「天泣」とは晴れているのにどこからか降ってくる雨のこと。かんかん照りの一日がようやく暮れようとしているときに空から降ってくるような法師蝉であった。
天泣のごとく降るなり秋の蝉
現実には程遠い秋ですが秋の気配が伝わる良い句ですね。
降るように鳴くツクツクボウシが秋の訪れを感じさせてくれますね。
もう少しの我慢でしょうか・・・それともまだまだ?
お互いあと一か月以上は夏のままの地方に身を置いてますので、諦めるしかないのでしょうか。
天泣のごとく降るなり秋の蝉
この秋の蝉、てっきりヒグラシと思いました。そうですか、あの喧しいツクツクボウシですか。秋口になると、蝉の死骸をよく見ますね。アリさんが盛んに分解して巣に運ぶからか、野良猫が食っちゃうのか、乾燥して風に飛ばされるのか、すぐに無くなります。蝉の種類って見分けがつかないのですが、秋口に死んでいるのは元気なツクツクボウシではなく、ヒグラシと勝手に思っています。
「秋の蝉」というのは特定の種類をさしたものでもないのですが、わざわざ「秋の」というくらいですから、アブラゼミ、ミンミンゼミなど盛夏に鳴く蝉が秋になってもまお鳴いている風情を言うんでしょうね。いきおい、夏の猛々しさはかげを潜めて残暑を鳴き暮らすところを詠みたいものです。