棟上の屋根葺く隣けふの秋
日差しがだいぶ傾いてきた。
傾いて部屋の縁に朝日が当たるようになり、今日から秋だというのに暑さが増したような気さえする。
植物はあいかわらず水をほしがるし、一日一回は水をやらねば枯らしてしまいそうだ。
枯らすといえば、数日前お気に入りの鉢楓が突然死してしまった。水にぬかりはなかったはずなので原因が思いつかない。掘りあげて根を確かめれば何か分かるかもしれないがこの暑さでは探究心もしぼみがち。おそらく10年以上のもので今さら新しいものを求める気も失せた。
新型コロナもますます手がつけられなくなってきて、何も有効な手を打たない当局にいらだつばかりである。
森といい、河村といい、ニッポンが間違いなくおじさん社会であることを世界にさらしてしまっては、この国の限界はここまでという気になる。右か左かのイデオロギーを超越した女性党を立ち上げて、八方ふさがりのおじさん帝国を打ち破ろうという女性はいないだろうか。
そう言えば今日は立秋でしたね。真夏の盛り、秋の気配などこれっぽちもない。
病気もせず暑さも何とかやり過ごしてそれなりに食欲もありコロナにもかからず何とか生きているのは有難いことである。
政府にいちいち目くじらを立てるのもばかばかしくなってきた。
次の選挙でリベンジするしかなさそうである。
しかし、東京はとんでもなく、途方もなくコロナ地獄ですね。五輪後二週間どれだけ拡大するか考えるだに恐ろしいことです。コロナ接種を避けた娘には帰省をあきらめてもらうほかないです。