七夕や母の手借りて飾り付け
季語「七夕」は秋のものである。
なぜなら、本来の七夕伝説にちなむとそれは陰暦の7月7日であるからだ。
なんでも陽暦化するならいの中で七夕といえば今では陽暦7月である。
陽暦7月といえば列島は梅雨本番の真っ盛り。これでは牽牛と織女が年に一度の逢瀬も楽しめないのは道理のことで、陰暦ならば今年は8月24日、処暑のころといえば空もだんだんと澄んでくるであろうし、神様もそこまでは意地悪ではないのである。
ところで今日の句だが、幼稚園で作ってきたのだろうか、お向かいの女の子が願いをかけた短冊を、母親におねだりして一番高いところに飾り付けてもらっていた。
幼稚園児の将来に幸いあれ!
六十になって古典・風流の道に入学してみると新旧の暦のズレが疎ましく感じます。
旧暦正月は梅、西行が死んだのは桜の真っ盛りの如月。端午の節句もズレてるしおっしゃる通り七夕は甚だしい。
奥の細道で芭蕉が七夕を迎えたのは越後路
文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡によこたふ天河
新暦8月20日過ぎのこと、さぞ天の川もよく見えたことでしょう。。
同じ理由から二十四節句などを廃止ないし改めようという動きがありますね。
それをやられちゃうと俳句の面白みがなくなるし、今のままでいいと思うんですが。
昨夜来の風雨、雷も治まって今夜は七夕にふさわしい宵です。
田舎ではいざ知らず、残念ながら都会の空では星ひとつ眺められません
天の川なんてとんでもない望みです。
最後に天の川を見たのは5~6年前の上高地でした。
お向かいの幼児はどんな願いを託したのでしょうね?
たまたま、運転中ラジオを聞いていたら牽牛と織女は恋人どうしではなく夫婦なんですって。長年てっきり恋人だと思っていました。
思い込みってこわいですね~
昔はちょっとした町でも天の川は十分見られたもんですけどね。
都会の灯りが空に反映して、このあたりでも大阪方面の空は明るすぎるんですよ。
小さな女の子のお願いは何かしら?微笑ましい情景ですね。
近くのスーパーの七夕飾りは、短冊の数が多すぎて笹の葉がほとんど見えません。ここまでくると全然美しくありません。何事もほどほどがいいね。
元々は女の子が習字など習い事上達などを祈願したものらしいですが、今では「AKBになりたい」とか随分かわいいものがあるようです。