がえんぜない

身に入むやいくばくもなき日思へば

今日は一変して食欲が旺盛でご飯を食べたいと言う。

食べたら激痛に苦しむのを分かっていながら「少しならいいか」と用意したが、やはり七転八倒の苦しみをただ見ているしかなくて後悔の念がたつ。
理屈が通じない病人というのは、病気に立ち向かう気構えを求めるのは不可能なので一緒に戦うことすらできないもどかしさと、治療法の選択肢までもが狭められるもどかしさがある。

夕食はなだめすかして諦めさせたものの、果たして今夜はおとなしく寝てくれるかどうか。

“がえんぜない” への6件の返信

  1. 七転八倒とはお辛いですね。
    我が家でももう理屈が通じない状況で本能のままに生きてる様相です。
    昨日も泣きながら電話してきて情けないと言うばかり。
    全くの子ども還りです。
    こんな時同居してないとどうしてもやれない・・・
    毎日傍にいて見守ってあげられるのはお互いに幸せです。
    お大事に。

    1. 自分の病気が何者かも理解できないうえ、耳が聞こえないというのはコミュニケーション手段が限られるので、ともに闘えないというのは相当なストレスですね。

  2. 生きたいという本能が食べたいと言わせるのでしょうか?
    食べたら七転八倒の苦しみが待っていることは理解できないのですよね。
    家族にはどうしようもなく辛い日々ですね。

    1. 隠れるようにして食べています。味もなにもあったものじゃありません。おまけに今日は部屋に立ちこめた匂いで食欲まで減退です。

  3. 子として親の体のためを思って言っても、理性が通じればよいが、そうでない場合は非常にジレンマに陥るような気持ち、よく分かります。
    当方の母親も認知症で、電話で話していても、当方の話を噛んで言い含めてもなかなか理解してもらえず、思わず怒鳴りたくなることもたまにあります。
    最近は母は病人なんだからと自分に言い聞かせ、話をよく聞いてあげて、支障のない範囲で相手の話に合わせるよう心がけています。

    1. 人間最後の場面では行動は命、生きるための基本的な欲求に従っているのでストレートに痛みが伝わってくるものです。

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