救われし者の悔恨震災忌
特集番組の多い日だった。
関東大震災の日だが、東日本大震災の被害はまたそれを上回るというか、福島第一原発の惨事も加わって日本人にとっては忘れてはならない出来事だ。まわりで次々に亡くなってゆく人を見ながら何も出来ない自分を責め、「なぜ自分だけが助かったのか」と今でも自分を責める人がいた。今も多くの人の心に大きな傷跡を残している大震災の教訓を忘れてはならないだろう。
評判の朝ドラも明日は3月11日のことを取り上げるという。なんともドラマティックな展開を見せる脚本であるが、果たして物語はどういうふうに語られていくのだろうか。
そうですね、日本人は9.1、1.17、3.11は忘れてはならない日だと思います。天災は忘れた頃にやってくる。忘れることが人災につながるのでしょうから。
人は過去を忘れることができるから生きていけると言いますが、災害の教訓は語り継いでいかねば。
昨日9月1日は市の防災の日で朝9;00~12;00に市の関係職員と一体となった自治体の防災訓練を行いました。今回の主目的は避難所までの参加者全員の避難と、避難場所の主要防災関連施設等の見学でした。小学校のグラウンドの地下タンク、プールの水のろ過装置、防災倉庫の備品類、障害者用簡易トイレの組み立て等、内容は盛り沢山でしたが、暑さにはまいりました。
今朝のあまちゃんの9.11の様子をみていたら、あの時は会社の事務所で地震を体験し、壁の棚などが倒れないよう支えたこと、地震後のTVでのニュース報道等を見て情報収集をしたり、出張中の従業員の安否確認をしたり、親会社に被害状況を報告したりしたこと等を思い出しました。ちなみにその日は帰宅困難で、会社に泊まり、翌日の朝(土曜日)に何とか帰宅しました。
首都圏でも大騒ぎの日でしたね。長時間あのゆっくり揺れる感覚は忘れることが出来ません。
今朝、「あまちゃん」を見ていて、私もその日、その時を思い出していました。
3月10日に母は手術をしましたので、11日は母のベットのそばに私はおりました。
母の体に繋がれた何種類もの管や医療器具がいっせいに揺れ、どうなることかと茫然としました。 本人はまだ朦朧としていて、怖さがわからないのが救いでした。
どんな場所でどんな状況で地震に遭遇するのか、一生無関係でいられるのか、これは誰にもわかりません。できるかぎりの用意はしておいて、あとは運を天にまかせるしかありません。
毎日を悔いなく、心ゆたかに生きていきましょう。
大変な時だったんですね。何が幸いとなるか、災いとなるかは天のみぞ知る。運命を受け止められる心の準備だけはしておきたいものです。