峡渡る盆唄夜の更けてなほ
夜更けて盆唄わたる峡の村
抑揚の小さき盆唄峡の村
川をはさんで手前三重県、向かいは和歌山県飛び地。
吉野熊野国立公園内にある父母の故郷である。
いまでも行われているのだろうか。かつては、熊野川上流の北山川をはさんで三つの集落が、盆の期間それぞれ持ち回りで毎日盆踊りを開催するのだ。レコードでも、炭坑節でもなく、この地方独特の盆唄だけを集落ののど自慢が未明まで唄い、盆休みに帰省してきた子供や孫たちがそれに合わせて輪になって踊るのである。深夜ともなれば青年会中心の踊りとはなるが、旧盆の時分ともなれば、川をはさんだ山峡の夜は昼とうって変わって蒸し暑さもうすれ随分過ごしやすくなるし、若い衆には苦にはならない。
唄の内容は忘れてしまったが、歌詞もリズムもメロディも単調なものであったことは確かだ。未明までずーっと通しで唄い、踊るには、このような抑揚の少ないもののほうが適していたのかも知れない。
今より40年ほど昔の熊野の思い出である。
現代は楽しみも様々ありますが、盆踊りもすたれないですね。
昔はもっともっと待ち焦がれて、熱狂的に踊り明かしたのでしょうか。
一年間のエネルギーを爆発させたのかもしれません。
22~24日は恒例の鉄道模型コンベンションだったので、昨日はW君のお手伝い(少しだけ)をし、同級生仲間とおしゃべりをし、夜飲み会でおおいに盛り上がりました。
集落に残った若い衆が中心になって準備をし、正月以来半年ぶりに大阪などから帰省する人たちも一緒になって賑やかな踊りでした。どこの家でも夕方のうちに墓参りをすませ、老若男女そろって参加したものです。
昔は悪ガキだったのも社会に出たらみな大人びて、その成長ぶりが集落の話題になったりもしたり、話題にも事欠かないビッグイベントだったように思います。
W君も「膏肓にいる」状態といっていいでしょうね(笑)
そうですか、集落をあげてのお楽しみだったのでしょうね。正に盆と正月ですね。
津市内では町内ごとに盆踊りはありましたがさほど熱狂的でもなかったと思います。
この盆の時に出される鮎料理がまた最高でした。
なにせ、一日川に入れば束(そく)釣といえるほどたくさんの鮎が釣れたくらいですから。ああ、本物の鮎が喰いたい。