稲妻の峡の出口をふたぎけり
昨日など珍しく遠雷があった。
大和盆地から大阪へぬける狭隘部の空が時に明るく、その後しばらく時間がたってからドドドという響きだけが伝わってくる。
これが山峡の集落なら、しばらくは峡から抜け出すのをためらうかもしれないと連想してみたが。
甲子園で故郷の三重高校が惜敗した。想像以上の健闘を讃えたい。
甲子園に行く予定が天気が悪そうなので取りやめ、かわりに涼しいうちに軽く洗車のつもりが、どんどん天気がよくなってきて暑さでばててしまった。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
稲妻の峡の出口をふたぎけり
昨日など珍しく遠雷があった。
大和盆地から大阪へぬける狭隘部の空が時に明るく、その後しばらく時間がたってからドドドという響きだけが伝わってくる。
これが山峡の集落なら、しばらくは峡から抜け出すのをためらうかもしれないと連想してみたが。
甲子園で故郷の三重高校が惜敗した。想像以上の健闘を讃えたい。
甲子園に行く予定が天気が悪そうなので取りやめ、かわりに涼しいうちに軽く洗車のつもりが、どんどん天気がよくなってきて暑さでばててしまった。
ひょっとしたらひょっとするかもと期待しただけに残念でした。
59年前の四日市高校の初出場初優勝が頭をよぎりました。
あの時私は小学校6年生、父が高校野球好きでラジオにしがみついていた事。
優勝の瞬間を覚えているのです。
投手がお隣の同級生と同じ名前で巨人に入団したのも鮮やかに覚えています。
後年社会人になって会社の先輩がその投手と同級生だったこと。
「夢よもう一度」は叶わなかったけど見事な戦いぶりでした。
昭和30年というのは三重にいなかったので全く記憶にありませんが、勝てば半世紀ぶりの快挙だっただけにニュース性も高かったでしょうね。
skyblueさん 懐かしい話ありがとうございます。
私は小3でしたが四日市高校の優勝しっかり覚えています。校歌も覚えましたよ。津高のなよやかな調べとは全く違った軍歌調の響きで一回聞いたら忘れられないようなものでした。
→久しぶりにネットで聞いてみたら作詞佐々木信綱、作曲弘田竜太郎とありびっくりしました。
下馬評では大したことなかった(今年の三重高のように)と思うのですが、まさにあれよあれよでしたね。決勝の相手は香川の坂出商(今年も出て来てました)、何と勝ったのですよね。すごいなと思いました。
父が高校野球好きで大会は勿論練習試合なんかもよく見に連れて行ってくれました。津高は勿論、富田の四日市高にも行きました。前年昭和29年、三岐大会で津高は梶本の多治見工業に勝って甲子園に行くのですが、もう一つの三重県代表が四日市高でピッチャーは左腕巽(慶応→国鉄)、確か津高より四日市高の方が前評判高かった筈で、勝った津高は大はしゃぎだったのですが敗れた四日市高は捲土重来。高橋を擁し次年に全国優勝とあいなった訳です。
この時代中京商の全盛時で昭和29年と31年に全国優勝、その中京商を昭和30年準決勝で四日市が負かしたのです。四日市にとっては準決勝で中京商に勝ったことが大きかったのだと思います。
このところ低迷気味の東海勢、三重高の活躍が刺激になり躍進してくれるよう願っています。
(長々と書いてしまいました。ほだかさん、すみません)
詳細な話をありがとう。巽投手のことは覚えています。
そういう歴史があったんですね。津高も一回甲子園に出たことあるとは聞いていましたが、当時の三重県勢は強かったと言えますね。
佐佐木信綱記念館が鈴鹿石薬師にあります。父母の墓が
近いので国道(R1)を行くと大きな案内板がありますが、まだ行ったことはありません。今度寄ってみますかね。
三岐大会のこと懐かしくてチェックしていたら記憶違いに気づきました。津高の甲子園出場は昭和28年で三重県の代表校もう一校は宇治山田商業でした。三重大会では宇治山田商業が津高に勝って優勝、津高は準優勝でした。それでも三岐大会では勝って出場を果たしたわけです。県大会で一回負けたチームが甲子園に行っていいものかその後議論がなされ三岐大会も昭和35年からは県優勝校同士の決定戦に改められてます。
昭和30年四日市高が甲子園に行ったときの三岐大会決勝の相手は岐阜商であの清沢が相手でした。懐かしい名前がごろごろ出て来て楽しんでいます。これも三重高校のお蔭です。
キヨノリさんの抜群の記憶力、恐れ入ります。
連れ合いから昔のことだけはよく覚えているねとからかわれる私にも記憶違いがありました。
キヨノリさんが当時3年生なら私は二つお姉さんの5年生でした。
思いがけず懐かしい話題になりましたね。
その後三岐大会では岐阜商などに阻まれて高い壁だったですね。
津球場の外野席で(草叢でした、昔は)、
頭上を超された球を追って塀際まで来た選手の形相を未だに忘れられません。
本当に残念でした!!
爽やかな球児達は、皆 清々しい風景を見せてくれましたが、アナウンサーと解説者との会話を聞いていて、始めの方ですら大阪の方が「2年ぶりの・・・」と強さをアピールし、当然勝つと予想する気配がちらほら感じられ、少し気持が暗くなりました。考え過ぎかも知れませんが・・・。
そういう思い込みを払拭する意味でも、三重高校に勝って欲しかった、と切に思っています。来年、ガンバレ~!!nao
誰もがあの大阪桐蔭の強さをみて大差を想像したんでしょうが、三重高だってあの広陵、沖縄尚学に勝ってきたんだからひそかに期待してました。その通りよくやりましたね。紙一重の差です。
三重高校、よくやりましたね。あいにくゴルフでチラチラとしか見れませんでしたが帰って録画でしっかり見ました。
本当に攻めも守りも紙一重、どちらに転んでもおかしくなかった。ゴルフじゃないですがあのスクイズが成功してたら、あのセンターフライが長野のグラブに入っていれば、、、「レバタラ」がいっぱいありました。
初戦の広陵との延長戦には興奮しましたし、その後の岐阜、熊本、沖縄、新潟と強豪校相手によくやったと思います。今年の夏は熱かった! 三重高校の激戦譜をしっかり頭にたたきこんでおきます。
今井君はそれまでヒットを打たれても簡単にはランナーを返さない粘り強いピッチングをしていたので、ある程度はやってくれるんじゃないかと期待していました。その通り熱投でしたね。
敗れてさわやかなインタビューも好感がもてます。
健闘しましたよね。最後の試合は友達と予定があって(三重校があんなに強いとは思わなかったので前に約束してしまったのです)残念ながら見られませんでした。
私は準優勝、素晴らしいと思いました。若さが眩しいですね。
キヨノリさん、いつもながら当時のこと詳細に覚えていますねえ。読みながら私も昔を思い出すことができました。
考えてみると私たちは随分長く生きてきたのですね。あっという間のような気がしますが・・
三重高創立と僕ら世代の中学卒業が同年だったように記憶しています。野球部の人気者数人が特待生で進学しました。残念ながらレギュラーにはなれなかったようですが、クラス会があると当時の話に戻ります。
そういえば間もなくクラス会の案内が来る頃です。時間の隔たりは一瞬にして消えます。