盆礼の口上教へられしまま
小さい頃、と言っても小学生高学年の頃だが、たまに一人で親戚に行かされることがあった。
大阪の北の方からバスに乗って九条新道まで。さいわい乗り継ぎはなく途中天満橋などを通って一本だったような記憶がある。
親から挨拶はこう言うんだよと言い含められ、盆暮れの中元や歳暮を持たされることもあった。商売をしているせいか、比較的口やかましい親戚だったので、そう言うときはちょっと緊張などもした。
この親戚はやはり熊野の出だったので、いなかの慣らい通り中元と言えば素麺とか砂糖とかが多かったように思う。子供にとってはそれなりの重さはあったのだろうか。今となっては記憶も遠い。
この親戚とは、いまでは代が変わったりして疎遠になってしまった。
田舎の方々の何かにつけての口上、実に自然体でスムーズなのに感心してしまいます。
私などしどろもどろでとても真似ができません。
盆礼、法事や日常の決まりごとが板についているのです。
私も小さい時からつい最近に至るまで母親に挨拶の仕方など教えてもらっていました。
まあ、心がこもっていれば良しとしたい所ですが・・・
おはようございます。
いつも早起きですね。
昔から集落の一員としてやって行くのには、しきたりとか慣らいとかが重要視されたんでしょうね。所作や口上などもパターン化してれば便利だったのでしょうか。
そうですね。お使いにやらされたことありましたね。先方も決まって駄菓子なんかをお礼にくれる。ちょっぴり嬉しかったもんです。最近は全て宅配・通販&テレビ電話ですから。時代は変わるもんです。
宅配便という便利なものができたおかげで、しかもクールなんとか便もあるので、進物の内容もバラエティに富むようになりました。
挨拶も電話ですませたり。万事忙しくなったような気がしないでもないです。
私も、よくおつかいしましたよ。寺、神社、お見舞いなど、いろいろありましたね。
特に思い出すのは、お見舞いの卵です。紙の箱に籾殻が敷いてあり、その上に卵が詰めてあるのです。落とさないよう転ばないよう、少し緊張したものです。昔の卵は貴重品だったのですね。今じゃ考えられませんが・・
寺や神社への口上、母に教えられたとおりに言いましたねえ。
今思うにこうやって社会性を身に付けていったのでしょうね。
親から子へ、またコミュティの人たちから、いろいろ学ぶことがあった世代は私たちが最後かも知れませんね。
小さな子供のそばで親が一生懸命にスマホ画面と格闘してるシーンなど、親子関係だって随分変わってきてると思います。
卵は病後の養生とか、遠足や運動会のときだけで貴重なものでした、小学生時代は。