藪騒の葉擦したがへ法師蟬
藪騒。やぶさいと読む。
俳句独特の用語らしく広辞苑にも掲載はない。
ちょうど「潮騒」で風や波が島の海岸や海辺の町を騒がせるのと同じように、竹林が風に揺れてサワサワしている様を言うようです。吟行時に教わったことです。
例として、
百幹の竹の春なる藪騒に(作者不詳)
「百幹」という言葉も初めて知りました。
で、さっそく使ってみたわけですが、やはり吟行や句会のいいところは先達の思いもよらない表現に刺激を受けることです。
なにごとも独学には限界があるのだろうと思います。特別な才能も備わってない身には。
吟行やお仲間を通じて世界が広がっているようですね。
毎日のように新しい言葉にであっています。
山茶花「ネット句会」のページも拝見しております。
ますますの精進、期待しております。
修学旅行も近づいてきて何とかせにゃと、遅まきに源氏寂聴版を頭から読み始めました。清々爺さんのダイジェストや皆さんのコメントにも俳句に通じると言うか、使えるものが多くて今更驚いています。
巻末の索引が便利すぎて別冊になればいいのになと思うことしきり。無いなら自分で作るか、などと血迷ったことを考えたり。
おっ、いいですね。是非源氏ワールドにお越しください。言葉の勉強になること保証します。疑問点、お気づきの点などどんどんコメントいただければと思います。
俳句でも使ってみたいなと思う言葉がいろいろあって、面白いです。
例として、「とざまかうざま」。これだけで7文字あるので使いこなせる場面が限られそうですが面白そうです。
先日の吟行では「いとどし」を使ってみましたが、失敗作でした(笑)。
「藪騒」、一語で状況を言い表すいい言葉ですね。十七文字しか使えない俳句。一つの言葉が如何に大切かよく分かります。「竹の春」「竹の秋」も言い得て妙ですね。
テレビ番組の「芸能界(秘)才能査定」結構面白くてべ勉強になります。
あの毒舌俳句の先生の講評、とても参考になります。
夕べも観てしまいました。
歳時記をたぐっていきますと素晴らしい日本語に出会います。
今は廃れた行事、風習であっても、俳句の世界では今だに現役というのもあって、独特の世界を築いています。
言い得たと思う瞬間を求めて、毎日いろいろ思いを巡らすのは楽しいものです。俳句中心の生き様は家人からは呆れられていますけどね。
「藪騒」 「百幹」 いいですね。 その文字を見た瞬間、情景が浮かびます。
自分勝手な造語はいけないのでしょうが、作りたい誘惑にかられます。
言葉は生き物だから、時代とともに変わるものもあり、死語になるものもあり、興味が尽きません。
是非造語で南天ワールドを築いてください。他人から見て共通の理解や認識ができるのなら、造語も大いに結構だと思います。
また、短詩形では「驚き」が大切ですので、人から見てはっとするような言葉遣い。造語ではないにしても、作者独自の言葉として記憶に残るのではないでしょうか。