二上の夕陽

落日や秋分の日の横大路
秋分の入り日真向かふ横大路

横大路というのは藤原京と難波京を結ぶ官道である。

今は国道166号として立派な道路が東西にまっすぐ延びる。
この時期の夕方、飛鳥や桜井から帰ってくるとき太陽がどこまで行っても真正面に見えるので眩しいこと限りない。詳しい統計は知らないが、交通事故だって多少は多いのではないだろうか。

ただ、空気がすんだ日は二上に沈まんとする光景はなかなかのもので、車を停めてしばらくは眺めていたくなるほどだ。

“二上の夕陽” への4件の返信

  1. 今日の夕日は大きくてきれいでした。
    そんな中、芒を掻き分けての散歩でした。
    何とか句にならないか試みましたが浮かびません。
    二上の山に沈む太陽はさぞかし感動ものなんでしょうね

    今日はいろんなことがありました。
    本来ならば誕生日記念に熊野古道のツヅラト峠の手前12キロほどを歩く予定でした。
    体調にまだ不安がありキャンセル。
    その代わりに男孫の小学校の運動会を見学することができました。
    フィナーレの組み立て体操では栄光の架け橋の曲をバックに一生懸命な姿に思わず感動の涙。

    帰宅したら八月末、登山をキャンセルした御嶽山の噴火。
    六時ごろに天気の良い日真正面に御嶽山が見える場所までつい行ってしまいました。
    見えるはずもないのに・・・

    1. 例によって、地平線、二上に近づくにつれ太陽が大きくなります。昨日は、その光が雲を赤く染めて、自身沈む寸前金色に変わっていきました。どういうわけか、夕焼けの雲は一片だけで、不思議な夕焼けがあるものです。日が沈む二上は浄土としてあがめられたというのも納得することができます。折口の難解といわれる「死者の書」にはいつか挑戦したいと思うのですが。

      最近は組み体操で怪我する子が増えているので心配しながら応援されてたんでしょうね。

      渓山さんが乗鞍から奥飛騨へとFBで報告してましたが、まさか御嶽さんには戻ってないですよね。ちょっと気になりました。

  2. 奈良盆地は朝日も夕日も山からやまへなんでしょうね。秋分を過ぎるとみるみる太陽が低くなっていく。人の気持ちも感傷的になろうというものです。

    1. とくに山あいに住む人の感覚は鋭敏になるのかもしれません。初瀬の参道に住まいする人が、山から出入りする月を詠んでいられたのが印象的でした。

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