入れ替わり山車の練り来る秋祭
山車まわし鳶きびきびと秋祭
今日は龍田大社の秋祭り。
崇神天皇が飢饉と疫病退散を願って起こされた神社とされ、後に天武が風神として当社を、水神として砂かけ祭で知られる廣瀬神社をまつり、当社の摂社には秋の女神・龍田姫を祭神とする龍田比古龍田比売神社がある。
歌枕の竜田川をこの龍田とする説と、斑鳩町の竜田とする説があるが、地形的に神奈備御諸の山を裾に配して大和から難波への出入りとなる難所があり、都から見て最も奥まった位置にあるという意味で、個人的、感覚的には龍田姫のいますこの竜田と考える方が自然ではないかと思っている。
万葉集「呼子鳥」の歌で有名な「岩瀬の杜」も斑鳩町と争っているが、本意・本情から言えばやはりこちらではないだろうか。
ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平朝臣
白州正子によれば
竜田川は大和川のことで昔は平群川といった。
大和川のほとりには竜田大社が鎮座しており古くから信仰された風の神であった。
やはり龍田姫まします所と思いたいですね。
そうですね、今竜田川と呼ばれている川は生駒南部から平群谷を流れてくるもので、本来は平群川だと呼ぶ方が自然です。何故だか無理矢理名付けた感がありまして。
竜田川は実在した川ではなく、竜田はヤマトの西の果て、黄泉の入り口というイメージもあって都人のノスタルジーによって生まれたものと考える説もあって、これも自然だなと思えてきます。「ちはやぶる」ですもんね。
龍田大社の秋祭りですか。そんじょそこらの村祭りとは格が違いますね。
skyblueさんに倣って百人一首からもう一首。やはり秋の歌ですね。
嵐ふく三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり (No.69 能因法師)
「呼子鳥」の「岩瀬の森」もこのあたりでしたか。「早蕨」で薫の心内を表す言葉として出て来ていました。
「いはせの森の呼子鳥めいたりし夜のことは残したりけり」
引歌については古来から諸説あるようですね。「いはせの森の呼子鳥」考とか読んでみてもなかなか納得というか、決着がつきそうもないような気がしてきます。
そう言えば、こんな記事も書いてました。
彷徨う
もう3年近く前の記事ですね。思い出させていただきました。忘れて思い出し忘れて思い出し、、、その内忘れっ放しになってしまうのでしょうか。まあそれもよしかな。
早蕨を読んでいるとき、「いはせ」「呼子鳥」と聞いて覚えがあるなあと思って調べてみたらあの「磐瀬の杜」でした。こういうことがあるとなんだか身近に感じますね。
2012年、「彷徨う」遡ってみました。
こんな所で繋がってくるなんて私も気付かなかったです。
とても興味深く再読させていただきました。
川原田祐子「いはせの森の呼子鳥」考も読んでみましたが長すぎて途中であきらめました。
斑鳩町の竜田神社は聖徳太子の勧進により龍田大社の摂社として生まれていて、付近の字は竜田といいます。ここは、業平が筒井筒の妻を捨てて生駒山地を越えて高安の娘に通った道の途中にあります。
ですから、当時今の竜田川を渡るあたりが紅葉の名所だったとも言われるわけですが,本家にももちろん竜田という字はあるわけで、それを承知したうえで斑鳩の竜田川のことを詠んだとは考えにくい。それに当時の歌というのは実際に吟行して作るのではなく、歌枕のイメージとして、技として詠んだのではないだろうかと思うわけです。
いずれにしても、神代から神奈備の地として興味つきない場所がこんな近くにあったものです。
龍田大社の秋祭りですか。いいですね。10月の兼題によい行事ですね。
地の利もありますね。楽しみにしています。
古典はみんな何らかのつながりがありそれを見つけた時は嬉しくなります。
ごめんなさい。未承認のまま見落としていました。
とは言え、「竜田姫」はなかなか手強い季題ですよ。思いっきりワープしないと詠みきれない気がします。入院中に考えることにしますかね。