主不在

無住寺の熟れゆくままの蜜柑かな

寺にかぎらず人家でも最近は空き家が多い。

長く閉門されたままになっている家や寺などで、手入れもしてないと思われる木にたわわに稔った蜜柑や柿などがのぞいていて、そのまま放置されているのをよく見かける。
おそらくは誰も採ることもなくそのまま朽ちてしまうのだろうが、樹木はともかくやがて建物自体さえ廃屋になってしまうかもしれないと思うと暗い気持ちにさせられる。

“主不在” への4件の返信

  1. 早朝散歩で素晴らしい光景に。
    堤防斜面の桜紅葉が朝日に映えて一斉に照り輝いていました。
    得した気分でした。

    田舎でもご多分に漏れない光景です。
    恐らく空家率50%を上回っているはずです。
    近い将来故郷がなくなりはしないかと心配です。

    1. 帰省されてたんですね。今年の雑木紅葉、とくに街路樹の欅が素晴らしいですが、そちらではどうだったでしょうか。

      このまま人口減が進み、経済の爆発的な成長がない限り、近い将来でなくても遠い将来消滅する集落は間違いなくあるんでしょうねえ。そんな時代は想像もできませんが、まちがいなくくるんでしょう。

  2. 日々の生活に便利な場所にどうしても人は集中してしまいますね。
    かって栄えてお寺も必要だったところも、住民が激減すれば寺の存在意義がなくなりますね。
    人間の都合に関係なく、植物はその季節を知り実をつけます。
    自然は偉大ですね。

    1. 植生というのはすさまじいものがありますね。火山などがいい例じゃないでしょうか。噴火があって溶岩が流れても、20年もすればその跡にはしっかり雑木が根を張りすっかり景色を変えてしまいますものね。それからすれば人間のやることなどたかが知れてるということでしょうか。映画「猿の惑星」を思い出します。

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