慎みは奈辺にありや

のっぴきのならぬ色出て葛の花

これがなぜ季語になるのだろうか。

葛を見るたび思うのである。
「葛」は秋の季語だが、家そのものをも覆い尽くしてしまうような勢いの強いものに「もののあわれ」というものがどうしても感じられないのだ。たしかに葛粉の材料にはなって単なる嫌われ者ではないだろうが、それとてきちんと栽培用に手入れされてるのが条件だ。
いまではそんな担い手も少なくなって、野放図に勢力をのばしていることが多い。

害のある植物を駆逐したくて日本からわざわざ輸入した国があるそうだが、今では全国に広がりかえって迷惑な外来種となっているという話も聞いた。まるで、我が国に起こっている現象と同じみたいな話だ。
このほかにも、輸出物や梱包材などに混じって国を行き来する動植物が過去には考えられないくらい増えていると思った方がよさそうである。

そういう目で見ると、葉っぱの陰からちらちらとのぞかすあの外来種みたいに大柄な花も毒々しくさえ見えてきて、「葛の花」自体が独立した季題としての地位を与えられているのが不思議に思えてくるのだ。まるで、下心、劣情が丸見えのようで。

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