異形

猫の尾の立ててご機嫌葛の花
穂元より紅さしそめし葛の花
陵の衛士小屋閉され葛の花
陵のすその一叢葛の花
陵のこれより結界葛の花
花葛の杖もて指さる在り処
新道のできて此の方葛の花
分水口のハンドル錆びて葛の花
国道は名ばかりにして葛の花
村道は林道にして葛の花
合併にて市道と呼ばれ葛の花
出店の噂絶えもし葛の花

夏の蔓が伸びきって、花の季節となった。

まがまがしい蔓の繁茂もあり、花も大振りの異形ともいえるのであまり好きではないが、なぜか古来から詠まれてきた葛である。
もっとも、万葉には30首近く詠まれているが、花が詠まれた例は一首しかなく、あの山上憶良の、

萩の花尾花葛花瞿麦(なでしこ)の花女郎花また藤袴朝貌の花 巻8-1538

だけである。秋の七草に数えられるだけあって一定の位置は占めているようでもあるが。この歌以外は、「葛這ふ」「葛葉」「真葛」など葛の生い茂るさまを詠んだものばかり。
では、いつから花に注目されたかを調べると、平安期からであるらしい。ただ、「尾花くず花」のように尾花とセットに詠まれている例が多い。

とまれ、葛粉を採取するのも稀となった現代では、荒涼とした原や田畑、廃屋などのイメージが強く葛の花に可憐な風情を求めるのには少々無理がある。いわば足を踏み入れることができない異界、異境の異形の花というばかりである。

慎みは奈辺にありや

のっぴきのならぬ色出て葛の花

これがなぜ季語になるのだろうか。

葛を見るたび思うのである。
「葛」は秋の季語だが、家そのものをも覆い尽くしてしまうような勢いの強いものに「もののあわれ」というものがどうしても感じられないのだ。たしかに葛粉の材料にはなって単なる嫌われ者ではないだろうが、それとてきちんと栽培用に手入れされてるのが条件だ。
いまではそんな担い手も少なくなって、野放図に勢力をのばしていることが多い。

害のある植物を駆逐したくて日本からわざわざ輸入した国があるそうだが、今では全国に広がりかえって迷惑な外来種となっているという話も聞いた。まるで、我が国に起こっている現象と同じみたいな話だ。
このほかにも、輸出物や梱包材などに混じって国を行き来する動植物が過去には考えられないくらい増えていると思った方がよさそうである。

そういう目で見ると、葉っぱの陰からちらちらとのぞかすあの外来種みたいに大柄な花も毒々しくさえ見えてきて、「葛の花」自体が独立した季題としての地位を与えられているのが不思議に思えてくるのだ。まるで、下心、劣情が丸見えのようで。

持家政策のゆきづまり

古家を今に飲まんと葛の花

散歩していると無住と思われる古家が散見される。

なかには葛の蔓が生い茂って屋根まで覆い尽くそうとしていることがある。このまま放置だとあと数年で家全体が飲み込まれ埋没してしまうだろう。

ニュースによると各地で持ち主不明の家が増えており、今にも崩れそうな家の増殖は近隣の安全を脅かしかねない深刻な問題になっているらしい。高度成長時代から今日まで政治や企業が一緒になって持家政策を推進してきたが、少子化、人口現象が加速度的に進むおりすでに数よりは質の時代に入っていることは間違いない。

追)急遽上京することになり、予約原稿です。

都会の嫌われ者

葛の花

葛の花

赤錆びの柵をも埋めり葛の花

ちょっとした空き地なら一夏ですっぽり飲み込んでしまう生命力には感服するが、手入れを怠ると手のつけられないほど茂ってしまって、そうなると根絶はもう無理だそうである。
かつては繊維に用いたり、ロープ代わりになったり有用植物だったが、現代では嫌われ植物ナンバーワンかもしれない。
見た目からすると、こんなおぞましい姿をしたやつが「秋の七草」のひとつだとはイメージが遠すぎるかも。
時代変われば品変わるだが、飲んべえには荒れた胃に優しい葛根湯ドリンクの原料だったりするのでそう邪険にしてはいけない。