山梔子の核に灯しの兆しある
山梔子の胴の内より灯りそむ
山梔子は梔子の実をいい、着色料や生薬の材料となる。
梔子色とはこの実から抽出される黄支子(きくちなし)に紅花を重ね染めた黄赤色で、かつては高貴な人(皇太子)にのみ許されたという。
7月に花が終わると大きな実を残すが、9月末ころから徐々に色づきはじめ、11月には全体が見事な色に染め上がる。
ちょうど今頃は色が出始めて間もなくて、青い実の胴体の中というか芯がほんのり黄色味がさしている程度である。
この色は「口なし」の連想から「謂はぬ色」との別名を持ち、古今集などの古歌にも詠まれているようだ。
くちなしが秋の季語とは知りませんでした。それに実もどんなものか実際に見てません(気づいてません)。早速探してみるようにします。
古今集のくちなしの歌、ググってみました。二つありました。何れも季節の歌というより「謂わない」という意味で「俳諧歌」として分類されています。
山吹の花色衣ぬしたれや問へどこたへずくちなしにして(21素性法師)
耳なしの山のくちなしえてしがな思ひの色のしたぞめにせん(よみ人しらず)
クチナシの実は奥さんにお聞きになればご存じかと思います。栗きんとんとかの煮物の色染めに使いますので。
赤をよく出すために下地にクチナシの黄を染めたようです。耳成の歌はシンプルですが、「思ひの色の下染め」というのがキーワードで理屈っぽくないのが好きです。
「いはぬ色」では、新古今和歌集巻十六には、円融天皇の御歌「ここのへにあらで八重咲く山吹のいはぬ色をば知る人ぞなし」がありますね。
味覚の秋
お早うございます。山梔子の花は確か渡哲也の歌で有名ですが、小生いまだに判別ができません。白い花だとは詩にあるのですが。
今ウオーキングから帰って、パソコンに向かっています。今朝は薄曇りで少し肌寒かったですが。
ここ米子では10月に入ってから雨らしい雨が降っておりません。
秋野菜の成長には欠かせないのですが。昨日は近所の方に頼まれて芋ほりの一日でした。100Mの畝に30SM間隔に埋まっておりそれをスコップを使って掘り起こすのですが、地面が締まっており結構きつかったです。種まき無しに収穫の喜びを味わうことが出来て味覚の秋の一端を覗うことが出来ました。家内が好きなもので掘りたてのお芋を喜んでくれました。腰の方は朝起きてみて思ったより大丈夫でした。
追伸
先日、M・K君の便りを読んで是非久しぶりにコンサートを聴いてみたい衝動に駆られました。それから、来月の3日加古川で同窓会がありますので、帰りに御地に行ければと願っております。11月4日です。
一日の畑作業で収穫の喜びも味わえ腰にも大事なかったとのこと、何よりでした。
11月はぜひお越しください。
詳しくはメールまたは電話での連絡をお待ちしております。
くちなしの花は乳白色で良い芳香を放ちますね。
花は確か春先のような・・・
その実はおっしゃる通り色染めですね。
子どもの頃一番身近だったのはお餅やかき餅の色染めとして母が使っていました。
庭に梔子を植えても虫にやられて育ちません。
連れ合いが口無しはないけどうるさい口有りが一人いると申します。
春先に咲くのは栽培種なのかもしれません。
(本)クチナシは梅雨前から梅雨明けころまでだと思います。
染料になるのは(本)クチナシですね。花の小さな栽培種は実がなりません。
当地ではクチナシを垣に仕立てたところを散見します。
虫に食われやすいのは確かですね。葉っぱがこっぴどくやられても実がしっかり残っているのをよく見かけます。