スマホ今ラヂヲの代わり終戦日
終戦忌ラヂヲの前に体操す
述語無き会話の世代終戦日
銃創の跡見せ父の終戦日
子供ができてからというもの、終戦の日と言えばほとんどを実家、あるいは家人の実家で過ごしてきた。
勤め先がメーカーだった関係で、この日を挟んで大型連休の恩恵にあずかってきたわけで、その都度渋滞をおして帰省したわけである。
いわゆるお盆休暇なので墓へ参るのが恒例で、終戦の日と言っても特別に何かあったわけではないが、酒に強くない父は酔っては脛の弾跡を見せて英雄譚を語るのであった。その父も、その想像を絶する体験をもってしても帰還後の人生はままならず不遇のままに生涯を終えた。
終戦の日と聞くと、部隊の1%も生き残れなかった戦場から奇跡的に生き延びた父は、軍隊にいるときこそが一番輝いていたような気がするのである。
そう言えば生前の父も弾痕を見せながら手柄話をするかのように饒舌でした。
引き揚げ後は生きるのに精いっぱい、楽しみなどあったのだろうか?
朝に夕に冷たい井戸水を携え墓参、お線香を手向け思い出に浸る。
そんな背中で「つくつくぼうし」や「かなかな」が鳴く。
名古屋ではめったに聞かれない、おまけに雨蛙までご登場です。
ふるさとの夏は去にけり静かなる母在りし日の影ぞこひしき
葉室麟の新聞連載小説「影ぞ恋しき」は紀貫之の歌が題材。
色も香も昔の濃さに匂へども植えけむ人の影ぞ恋しき
戦前・戦中派はどん底の悲惨を味わいましたが、戦後の奇跡的な復興も成し遂げた歴史に類を見ない世代ですね。
このような世代を二度と生じさせない義務が等しく日本人に課せられていると思います。