墓を守る

掃苔の英霊六基従兄弟なる

朝から二カ所の墓参りを済ませてきた。

一つは実家の墓、もう一つは家人の実家の墓である。
家人の実家の墓に参ると、必ず線香を手向ける墓六基がある。
みな、先の大戦で若い命を散らせた義父の弟とその従兄弟たちの墓である。外地での戦死だからもちろん遺骨はなく紙だけが帰ってきたのだろう。それらの墓碑銘はいまだにくっきりと読むことができるが、どれもみな昭和20年の月日のものばかりである。とりわけ、心を打つのは終戦のわずか十日前に泰国で戦死したという文字。あと半年、あと十日生きていれば違った人生を歩めたものをという思いが頭をよぎる。
その従兄弟たちの墓には今年はまだ誰も訪れた形跡がなく、もしかしたら墓を守るひとたちの高齢化か、あるいは家系が途絶えつつあるのかもしれない。

「墓守をする人が絶える」。これは少子化がもたらす現実の問題としてそれぞれの身に降りかかってくる。
自分の墓をどうするのか。そろそろ考えなければならない時期に来ている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください