紅蓮が命

幾筋の出逢ふデルタや曼珠沙華
幾筋と出会ひ大河に曼珠沙華

例年なら曼珠沙華の群生が見事な時期、その堤防は雑草に覆われていた。

草刈り作業が遅れていたとみえ、今年はもう見られないかと思っていたところ、数日前に除草されたと思ったら、あっという間に曼珠沙華が顔を出してきたのだ。
何と言う生命力であろうか。雑草が覆っているときはじっと伏せていたに違いない。この生命力があればこそ、飢餓のときの「救荒食」たりえるわけだ。今ではこれを食べようなどと考える人はいないはずで、薬用に使うこともなくなったようである。そのかわりかどうか、品種改良もされているようで、黄色だの、白いのが赤いのに混じってさいているところを見かけるようになった。
曼珠沙華と言えばあの「紅蓮」が強烈なイメージの中心にあり、白を見てもぴんとくるものはないが、これも世の流れ。
ただ、俳句の世界ではまだ認知されてないようで、「曼珠沙華」と言えばやはり「紅蓮」なのである。

“紅蓮が命” への8件の返信

  1. 曼珠沙華の群生、今年はまだ見られません。
    お天気がぐずついていて散歩もままならないせいかしら?
    あるべきところには咲いているのでしょうね。
    9月に入ってまともに晴れた日が思い出せないぐらいです。
    青空の下、紅蓮の曼珠沙華見たいです。
        ♪♪紅い花なら曼珠沙華~

    1. キヨノリ君のところでは今が盛りでしょう。当地では条件のいいところは終わりかけといったところです。
      蕎麦の花を見た高原では今が盛り。
      曼珠沙華に関するかぎりちょっと早めに秋が通り過ぎています。

  2. 曼珠沙華の生命力を特に感じるのは紅蓮だからでしょうね。
    昔、中学生の頃、美術の時間に盆に曼珠沙華を描く授業がありました。
    私は朱を使って盆いっぱいに曼珠沙華を描きました。その時も生命力を強く感じたからでしょうね。
    ふとそんなことを思い出しました。

    1. 不気味な花ではありますが、特異な花だからこその生命力、魅力ですね。
      花というより文字通り「華」がぴったりきます。

  3. 雨続きで散歩もままなりませんが土曜日に行ったときは、曼珠沙華、まだ三分咲きくらいでした。ちょっと遅いですかね。球根から茎を延ばして一気に花ですから日照時間に左右されることもなさそうですがねぇ。ちょうどお彼岸には満開になってるでしょう。

    1. なるほどね。球根だから日照には関係なく、邪魔者がいなくなったらすぐに芽を伸ばすんでしょうか。そうだとすれば、ますます不敵に思えてきます。

      当地は11時頃から雨風が激しくなってきました。そちらは夕方から夜にかけてでしょうか。

  4.  台風一過の秋晴れ期待と行きたいところですがどうもそうではないらしい。
    依然太平洋上の高気圧のせいで、秋雨前線は湿度の高い空気が支配するのだとか。
     実は田舎の友人が「新米出来てるよ」というので、本日は三重行きを予定しておりました。が、これも台風で順延。農耕民族としましては、雨では行ってもやることがありません。
    久しぶりに今夏食べそこなった三重のウナギを食してきますか。気の早い向きには浦村の初かきがよいのか。
    そうだ!穂高はもう紅葉だとか。忙しくなりそう!!

    1. 秋晴れは週末待ちみたいですね。
      「秋」はやることがいっぱい。一日としてじっとしておれない貴君にもたまらない季節のようですね。
      牡蠣は的矢ではなく鳥羽ですか。それは知らなかったなあ。

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