十四も十五も同じようなもの

待宵の肴はとくにこだわらず
待宵や酔うて知足のなほ遠き
待宵に知足の心ありにけり
待宵の茶粥の釜につきっきり

とっくに終わってしまった陰暦十四日だが。

今月の兼題ということで二つ、三つ作らねばならない。
傍題に「小望月」があるが、名月を前にした夜あるいは月を詠むわけである。
お月見は芋を供えてお団子あげて、それは静かな佇まい。それを待ち遠しい気分で詠むのが本意である。
ただ、根っからの信心不足の罰当たりと来た日にゃ、月見酒の日であるくらいにしか思ってない。
十六も十三も、月が出たといっては酒を飲む。
口実は何でもいいわけで、酒さえあれば肴など何でもいいし、そうこうして今日もほろ酔い気分。
大人はほんとにいいものだ。

“十四も十五も同じようなもの” への6件の返信

  1. 今日は秋分の日、終日小雨の降る肌寒い一日。
    ここ一週間の名古屋の日照時間は平年の10%余り。
    そんな中で名月が見られたのは奇跡に近い。
    お酒も飲まないしお供えをしてお月さまを愛でるでもないがやはり空を眺める余裕は持ちたいものである。

    1. ほんと、今月はほとんど月を見ませんね。
      ただ、雨月、無月という言葉もありますから、いずれにしても飲む口実はあるわけです。
      竹内街道方面に行ってきました。二上山の裾の畦は見事な彼岸花でしたよ。

  2. ほんと酒飲みにとって口実は何とでもなるもので、果ては何もないのもいいじゃないかと開き直って飲む。でも確かにそうで何かあったら絶対に飲めませんからね。

    1. そうですね、この夏はゆっくり飲めなかったでしょうから。この秋は「白玉の」歌でも口遊みながらじっくりとどうぞ。

  3. 昨日は秋分の日。おはぎを用意し田舎の墓前、仏前にお供えしてきました。
    お墓も賑わっております。いろいろ声をかけたり掛けられたり。半分は見覚えがあるが名前が出てこない。幸いお墓は名前入りなので何とか嗚呼あの人だったのかという感じ。

    本当に落ち着かない空模様ですね。青山峠を越えると別世界、ぽつぽつと雨が当たってきます。
    新米を受け取る作業も雨を気にしての作業。
    昔、何でもなかった30kgの袋を運びかねます。古稀相応の体力になってるんですね。

    雑草にめげずに里芋がしっかり葉を広げております。主なしとてよく育っておりました。
    急ぎとんぼ帰りの一日でした。

    1. 実りの秋を満喫してきましたね。
      30kgといえば大人の半分。そりゃ、都会人にはもう無理がきかんでしょうよ。僕なんぞは土嚢一袋でも腰が怖くてもてません。

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