春窮やフィルムロールの在庫尽き
フィルムからデジタルの時代になって、フィルムを提供できるメーカーも限られてきた。
かつては、用途に合わせたり、色味の異なったタイプなどさまざまな種類のフィルムが市場に出回っていたが、今では白黒・カラーとも富士フイルムが僅かな種類と量を提供している程度である。
フィルム代含め現像のコストなどデジタルよりはるかに高くつくが、それでもアナログのフィルムファンがいて、市場から消える前に好きな銘柄のフィルムを買いだめしていたものだ。
今となるとさすがに在庫も底をついて、心ならずもデジタルに移った人もいるが、今だにフィルムを愛用している人がいる。これから写真を勉強しようという若い人や、女性に意外に人気なのだ。
飽食の時代、「春窮」はもはや死語となっている。前年に収穫したもので冬をしのいきたものの、春になっていよいよ食料も底をついてきた状態をいう言葉、季語である。
ご無沙汰ごめんなさい。春休みは春休めずでありまして。
カメラ・写真の世界の変わり方もすごいですね。素人でもスマホでけっこうきれいな写真が撮れますもんね。でもこの世界も専門の人に言わせると奥が深いのでしょう。俳句の世界といっしょですね。
家族の絆をなにより大切にしておられるキヨノリさんですから、短い春休みならではの大車輪だと推察します。
そのカメラメーカーは家電メーカーに追い上げられ、車メーカーはIT産業に追い上げられる。産業構造が大きく変わりつつあるとき、自国ファーストで既存産業を守るのもいいですが、氷河時代の恐竜になりはしませんかね。
春に窮すると書いて「春窮」初めて知りました。
昔懐かしいカメラ、失敗談ばかり思い出します。
ピントがずれたピンボケ写真、フイルムの入れ方が悪くて写っていないもの、バカチョンなんてのもあったし使い捨てもありました。
スマホのきれいな映像、信じられない移り変わりですね。
プロの写真家の見方はどうなんでしょうね。
ロバート・キャパの写真展を観に行った事もありますが今は素人にとっても便利な時代です。
私も「春窮」を知ったのは最近です。
新ホトトギス歳時記からさえも消えている古季語ですが、そういう厳しい時代が長くあったことを忘れない意味でも、たまに詠んでみるのもいいかなと。
ロバート・キャパとはまた通ですね。報道写真家として、初めて35ミリ版ライカを駆使して機動力を発揮したカメラマンとして知られています。カメラの歴史とともにある写真家ですね。
今は誰でもすぐ写せるし、ネットにつなげば誰でもアクセスできる。画像が氾濫して、逆に印刷してじっくり見る機会が減りました。