そういうもの

頃なればどこか人来る桜かな

しばらく、「花」シリーズを続けたい。

日本人にとって、桜は人を寄せるものだ。
蕾と聞けば、開花はいつだとなり、咲いたら咲いたでいつが見頃か、いつまでなら見られるか、そんなことが気にかかってしず心ない季節となる。
咲けば、その下に人が集まり、宴になる。夜は夜とて宵篝、最近はライトアップにとって替わられたが。

全然関係ない話だが、「人来る」というフレーズからこんな句を思い出した。

死にたれば人来て大根煮きはじむ 下村槐太

昔は誰に指示されるわけでもなく、隣近所、今風に言えばコミュニティの人たちが集まって、それぞれの持ち場でてきぱきとことが運ばれてゆく。自分も、死ねば、このように、ごく事務的にすべてがながれてゆくのだろうか、と。

“そういうもの” への6件の返信

  1. 先ほどソメイヨシノの寿命は60年とキャスターが言っていました。
    人間の平均寿命より短いのに驚きました。
    今は人が亡くなっても隣近所が自然と寄り合う事もなく葬儀社がもっと事務的に事を運ぶのでしょう。

    花醍醐と言う言葉を夕刊の記事で知りました。
    吉野山の桜が咲ききわまった頃、風がぴたりと静まって不思議な静寂が続いたと思うと俄かに山が鳴り突風が吹き起こって全山の花を空に吹き上げ、一転してゆっくりと地に降りそそぎはじめる。魂を奪われるような美しさを「花醍醐」といい百年に一遍あるかないかとのことだそうです。
    歳時記を調べてもありませんでした。

    1. 染井吉野は手入れがよければ100年でも保つそうですが、都会のコンクリ-トに根を抑えられたものなどは、50年もすれば衰えてきますね。植えて40年くらいの盛りのものばっかりの桜並木も、そのときは素晴らしいのですが、やがて衰えると見窄らしい並木になりがちです。今の名所も30年先はどうなるか分かりません。
      その点、人の手を借りないで山などに咲いてるものは逞しい。

      「花醍醐」。初めて聞きました。実際そんなことが起きる年もあるんでしょうね。桜の咲き始めや終わりに、毎年これだけの差があるんですからあながち嘘とは思えません。信じてしまいます。

  2. ウチの近隣仲間も桜を口実に近所の公園に集まって宴会をやる習わしなんですが、今年は声がかからなかった。聞くと体調不良者が数人いて今年は取りやめとのこと。まあ平均75才くらいですもんね。仕方ないでしょう。

    1. 大きな災害とか不幸があれば、やはりイベントは控えめになるのはやむを得ないところです。
      花火はもともと鎮魂のためのものだったので、控える必要はないのですが、悩ましいところかもしれません。
      来年はまた再開できればいいですね。

  3. 桜は 散り初めが 一番好いですね。

    ところで 下村槐太という方の作品。この暗さ!
    ぐっと引かれて、ググってみたら ありました、こんなのが;
      わが死後に無花果を食ふ男ゐて

    いやぁ~ ほだかさん、よくこんな人の句を
    ご存知ですね、凄い!

    1. 大根の句はそうとしか言い得ないものがあって、人の営みの真理をついているところなど、いつかはこんな句を詠んでみたいと思うのですが。

      無花果の句はどう解釈したらいいのでしょうね。
      もしかして、自分がそうなのだと言ってるのでしょうか。人の死に際しても平然といられるような人間に成り下がったと自虐的にみているのか。あるいは、自分は無花果を喰らうことくらいでしか、悲しみをともにすることができないとでも。いずれにしても、さまざまな解釈が読む人に委ねられています。
      すごい俳人がいたものです。

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