記憶の中に

教室をぬけて田圃の蜆川

学校のすぐ裏でどういうわけか太った蜆がいっぱい採れた。

遊びのつもりで川に入ってみると、両手ではとても受けきれない量がたちまち体操帽にいっぱいになる。
どうしてあんなところで蜆がいるのか当時はよく考えもしなかったが、今思い出せばこの用水は町の南側を流れる汐入川に通じているからに違いないだろう。
あの田圃はみんなとうに住宅地に化けているかもしれない。あの蜆を食ったのか捨てたのか、それもよく覚えていない今となっては遠い、遠い記憶のなかである。

“記憶の中に” への2件の返信

  1. 蜆と言えば国道23号木曾川に架かる橋の下で蜆を取った記憶があります。
    まだ子供たちが幼いころ帰省の途中、笊で蜆をすくった記憶があります。
    昔、当たり前にあったものが今ではなくなったものがたくさんありますよね。

    今日から始まった大相撲大阪場所、初めて見る無観客でなんだか不思議な光景でした。

    1. プロの試合というのはどんなものにも「華」を感じるんですが、無観客となると何となく「緊張感」はあるものの「勝負という事実」だけを見せられているようで、観客としての一体感ある感動を共有できない気がしてきます。
      やっている力士にとっても勝手が違って大変でしょうが、無事千秋楽まで緊張感とぎれないように頑張ってもらいたいものです。

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