ぽっくり往生

逝く春や馬券買うたも忘れたと

悲しいかな何割かの確率で人は認知症を患う。

友人の訃報につづいて同期では最も若い(早生まれの)友人の消息が流れてきた。ここ一二年そんな話は風の噂に聞いていたが、重ねて聞くと遠い人になってしまうのかと気が重くなる。
直接死因となる病でもない認知症だが、死因のうち最も高い割合とされる癌同様できれば避けたいと思ってしまう。
隣の斑鳩町にはぽっくり往生の寺と知られる吉田寺きちでんじがある。
開祖恵心僧都が母に魔除けの祈願をした衣を着せたところ、なんの苦しみもなく往生したというところから、高齢者のお参りがたえないという。

“ぽっくり往生” への4件の返信

  1. 共に長生きした両親は晩年軽い認知症になってしまった。
    90代まで生きながらえるとそれは避けられない宿命かもしれない。
    健康長寿を保つのはそれぐらい難しい。

    不治の病や認知症を患うぐらいなら私はこの年まで生きたのだからいつさよならしても悔いはないというもののせめてあと10年は健康でいたい。
    コロナ禍中では逝きたくないのが正直な心境である。
    もう少しやり残したことをやりきって思い残すことなくおさらばできれば幸せである。

    1. 同感です。コロナ、認知症、どちらも周りが不幸になります。健康寿命をいつまで保てるか神のみぞ知るですが、思い煩うのも難。欲も希望もなく、ただ無心に今を生きることだけ考えようと思います。

  2. 逝く春や馬券買うたも忘れたと

    一瞬、ドキッとする句ではありますが、これも避けて通れない定め。
    斑鳩町の吉田寺(きちでんじ)。一度お参りしておくべき先ですね。

    生への執着は人それぞれでしょうが、あっけらかんで執着の少ない人が結果的に長命のようですね。
    「死という最後の未来」で石原慎太郎と曽野綾子が対談しておりますが、年長の曽野さんがキリスト的達観派。対して法華経の石原さんがやりたいこといっぱいの執着派。結果は御覧の通り。
     さあて、どちらで参りましょうか。

    1. 達観な生きるには無理。かと言ってあれこれ執着もしたくなし。自然派でいきたいものです。
      吉田寺は斑鳩竜田神社の近く。交通の不便なところですので車でお出かけください。

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