老いに添う

春泥を避ける分別いつよりぞ

年寄りの冷や水という言葉がある。

歳がらにもなく無理をして体を痛めたりすること。「それ、みたことか」と笑われるおちがついた慣用句である。
水たまりやらぬかるみがあれば、若い頃ならば一気に跳んでみせたり、あるいは少々足を取られても突っ切ってゆくことも怖れなかったが、さすがに今はもう無理だ。
降参、降参とばかり回り道をゆくか、引き返すか。
そんな分別というか、弁えというものをいつの間にか身につけて、これを悲しむか、諾うか。
だんだん心も老いに添うてきたように思うこのごろである。

“老いに添う” への2件の返信

  1. 昔、両親が健在の頃二人で一人前から二人で半人前になっていった。
    同じ道をわれわれもたどっている。
    テレビのボリュームといい家事と言いすべてにかんじてもう少し優しくしてやれば良かったと思う。
    連れ合いがいて何かと助けてくれるのがありがたい、きょうも叔母から感謝しなさいと言われた。
    風呂掃除とか洗濯物干しとか掃除とかであるが調理だけはだめみたいで洗い物を教えたい。

    1. 洗い物を引き受けてたのが、左親指の腱鞘炎(?)でものが能くつかめなくなって返上することに。お互い動きが鈍ってるので助け合いでいきたいのだが。今のところ二人で一人前だが、いつかは第三者の手が要るようになるのかな。

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