ドライヴの視野の齣なる花馬酔木
ある句会に投句したものだが、披講となって肝をつぶした。
誤字というミスを犯したのだ。誤字は文法的誤りとともにその段階で失格も同然。仮に、直ちに誤字とされなくても全く別の意味になってしまうようでは句意を正しく伝えることはできない。
「馬酔木」というのはそれだけでは季語にならないで、「花」あるいは「咲く」を伴ってはじめて春の季語とされる。
その花というのはスズランのような花が房なりになるのだが、「風に揺れる」「鈴の鳴るよう」「(花の)白さ」だの、「花馬酔木」そのものを詠うとどうしても類想的な句に陥りやすく大変難しい季語だと思う。だからこそ「花馬酔木そのもの」の状態を詠わないに苦悶しながら、ようやく掲句となったのだが肝心な部分「齣」が「駒」になっていた。
車を運転していて視野の隅にとらえた一瞬の花馬酔木。自分としてはうまく言い得ているようで満足もしていたのだが、誤字は痛かった。
本当だ!!
歳時記を見て驚きました。どこにも馬酔木なんて見当たりません。
例えば杏、これも花杏としなければならないのでしょうね?
難しいですね、決まりを知らないとミスを犯しそう。
もっと歳時記を勉強する必要がありそうです。
最近句が余り出てこないんですよ。閃かないと言うか気がないと言うか・・・
それと齣、一こまなどはこの字を使うのですか?私は駒だと思っていました。
誤字脱字の多い私、ああ怖い!!
3月の大伯皇女の見た馬酔木で書いたように、万葉集でも大伯以外はみな「馬酔木の花」「馬酔木咲く」というふうに詠まれています。歳時記は必ず目を通すことと、その際に必ず例を見るようにしています。とくに例を見ることは歳時記の意味や使い方を理解するのに役立つというだけでなく、秀句という意味で暗記とはいかないまでも懐の引き出しに入れておくことができます。
「杏」「杏子」は夏の季語です。ということは花ではなく実のことを言うんでしょうね。花を言うなら「杏子咲く」「花杏子」「杏子の花」になるのでしょう。「李」も同様に夏ですが、よく似た「梅」は春だと言うんですから、昔から日本人の感性というのはまことに微妙なものだったのでしょうが、現代は外国人はおろか普通の日本人さえ区分できなくなっています。
よく解りました。
花と木、花を読む場合と木そのものを読む場合の違い。
時期が違って当然ですものね。
従って大伯皇女「生ふる」となる・・・なるほど。
杏の場合も花と実のなる時期で使い分ける・・・
ありがとございました。
ほだかさん、 色々勉強になります。 私も最近は広辞苑や漢和大辞典をみることが多くなりました。読めない場合はもちろんですが、知っている字、言葉でも念のため調べたりします。 思い違いがあったり、冷や汗ものだったり・・・
歳時記も丁寧に読み込んでいかないといけませんよね。
歳時記は一冊覚えてしまうような気でつきあうとよいと思います。いろいろなヒントがありますので、対になる「季寄せ」も必携。外出時携帯してるといざというとき使えますよ。
俳句の世界は奥が深く、結構大変そうですね。
誤字は別として、季語や難しい漢字、植物名等、幅広い知識と経験が必要ですね。
貴方の俳句に付き合っているといろんな勉強になります。わからない言葉や名前等が出てくるとすぐに検索して確認しています。
60才過ぎてからの勉強もいいですね。感謝!!
ちなみに北杜市の別荘の庭にも馬酔木が植えてあり、赤い花が房状に咲いていました。
辞典もいいですが、今はグーグルさんですね。いずれ吟行用にはタブレット型スマホが最大の武器になるんだろうと思ってます。