雪割草ふりさけ見れば登廊
長谷寺本坊から見上げる光景はいつ来ても飽きない。
仁王門からくの字を描いた登廊、それが到達する本堂の大舞台の展望が素晴らしい。
足下に目をやれば、庭の冬牡丹もみごとだが、その傍らに健気にひっそり咲いているのが雪割草である。
どの時期に来ても何らかの花が見られる長谷寺は、まさしく花のお寺の名に恥じない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
雪割草ふりさけ見れば登廊
長谷寺本坊から見上げる光景はいつ来ても飽きない。
仁王門からくの字を描いた登廊、それが到達する本堂の大舞台の展望が素晴らしい。
足下に目をやれば、庭の冬牡丹もみごとだが、その傍らに健気にひっそり咲いているのが雪割草である。
どの時期に来ても何らかの花が見られる長谷寺は、まさしく花のお寺の名に恥じない。
長谷寺、思い出してます。関連記事で過去ログを辿れるのはいいですね。特に写真が素敵です。
平安時代の都人は奈良方面のお寺にお詣りとなると必ず初瀬の長谷寺なんですね。南都のお寺にお詣りしたなんて聞きません。興福寺は藤原氏の氏寺だしそれぞれ特化してて一般の人々が詣でるのは長谷寺だったということでしょうかね。
「長谷寺」で検索すると、出てくるわ、出てくるわ。
これからしても、自分は長谷寺ファンだと再認識。
ほんとに、何時行ってもいいです。
「隠国」というひっそり隠れた領域の中に、あんな立派な本堂があって、大きな観音さまがいらっしゃる。まるで、円形劇場のようになった境内に塔頭や花々が配されているのを巡るのは、テーマパークのようでもあります。
南都仏教を嫌って遷都したようなものですから、東大寺などは頼朝の庇護間まで待たなければなりませんでした。春日大社も代理のものが主祭でしたしね。
あの世の平穏を願って観音さまをいっぱい作った平安貴族にとっては,隠国は最大のテーマパーク的側面もあったのではないでしょうか。
私も次々と過去ログを辿ってしまいました。懐かしいですね。
中でも登廊の両側の牡丹園の見事さ。
これは見るべきですね。
紀貫之の歌を知った後では海柘榴市への思いも変わりますね。
玉蔓も懐かしいです。