黄砂?

国ン中の四方の山々夏霞

盆地の真ん中に立つ。

四方の山を見回すと、靄がかかっているようで、とくに山頂部がどれも隠れている。
こういう日は暑くなる日で、まるで熱い空気が盆地の底に溜まっているような感じだ。
ただ、今日は黄砂がくるとの予報もあり、汚染された粉塵を避けて窓は閉めたままである。とはいっても、この黄砂は花粉より細かいというから、あまり効果はないかもしれない。
夕方、車のウィンドウを確かめたが、目に見える黄砂はかぶってないような気がする。このまま行き過ぎてほしいものだ。

“黄砂?” への4件の返信

  1. 黄砂のことは天気予報で知りましたがさほどは感じませんでしたね。
    車はエアコンをつけていました。
    風が結構あり駐車場の自転車が将棋倒しになっていた。

    今日は母の命日、二年前の今日の事を思い出すと今も涙があふれる。
    四日間母と病室を共にした朝、用があり一旦自宅に帰り玄関を入った途端、危篤の報が入り舞い戻った。
    何で帰ったのかと自責の念に苛まれた。
    母は最後の別れを悟っていたのか、私の涙を見るに忍びなかったのか・・・また来てねと言ったのに。
    常々「最期は笑って送ってね」と言うのが口癖だったから。
    先日家人と命日を前に墓参りをした。
    20キロの渋滞の中、23号に降りて開店と同時に新玉亭の鰻を食べた。
    母は鰻が大好きだった。
    施設で食が進まなくなっても鰻だけは食べた。
    新玉亭の鰻を食べさせてやりたかった。
    因みに家人(45歳独身男)は大盛りを食べた。
    その量に度肝を抜かれた。
    亡くなった直後は何の後悔もなかったのに年々後悔が募り今日は特に切ない。

    1. 亡くなった方には、肉親であればなおさら、折に触れてああすればよかった、ああしてやればよかったと思うことばかりです。
      父母は勿論ですが、早くにガンで亡くなった親友、何年か飼っていた犬や猫たち。毎朝仏壇に向かうときは、それぞれに悔恨の気持ちを抱きながら声かけをしてはお参りします。
      人との別れには、満足というものはないように思えます。懐旧の思いに浸るときでも、必ずなにがしかの悔恨が伴うのではないでしょうか。
      ですから、生き残っているものはひたすら祈ることでしか救われることはないのでしょう。
      一日一回そうした時間をもてるうちは、健康である証拠。健康に感謝しながら、回向をたむける。当地に越して俗なつきあいからすっかり足を洗ってから、ずいぶん穏やかな毎日が送れているように感じます。

  2. 黄砂が来ましたか。その季節なんですね。関東はまあ少ないのでしょうか。こんなもの心配しても仕方ないので心配しないようにしています。

    連休も過ぎ暖房も冷房も要らない一番いい季節に入ります。色々楽しいことみつけ元気に過ごしたいと思っています。

    1. 葛城も生駒も畝傍も、黄砂でみんなおぼろのなかです。車のウィンドウにもうっすらと積もりました。首都圏は少ないようですが、日本海側は意外に遠くまで飛ぶようです。
      菜種梅雨というのもなかったようだし、ここんところいい天気が続きますね。外も帽子さえかぶれば快適です。

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