白南風や吉報山越えやって来る
今日は特別な日となりました。
所属結社8月号の巻頭をかざる栄誉に浴したのです。
俳人なら誰でも一度は経験したい巻頭句で、結社入会して八年目にしてこんな日が来ようとは夢にも思いませんでしたが、今日は朝から電話やらメールで祝砲をいただき、俳句人生もうこんなことはないだろうと言うくらい最良の日となりました。
該当句は、
おまけ汲む伝法肌の浅蜊売
高校時代の仲間と月一回楽しんでいるネット句会にも提出したもので、ゴムで吊った銭入れがぶら下がっているようなお店をイメージしたものです。朝市などでもまだこんな風景の残っているところはあると思います。
お土産の海鮮市場などではよく似た光景があるのではないでしょうか。
タイトルの「吉報届く」を見て一瞬どんな吉報?と想像たくましくしました。
おめでとうございます。
おまけ汲む伝法肌の浅蜊売
威勢の良い浅蜊売りのおばさんが目に浮かびます。
量り売りの土産市場などで浅蜊や明太子、じゃこ、わかめなど大盤振る舞いしてくれる気前の良い兄さんがいますがここでは伝法肌が効いていますね。
「伝法肌」。浅蜊で苦吟していたとき、こんな言葉がすうっと降りてきた感じです。
言ってみれば夫婦善哉の淡島千景をイメージするような女性でしょうか。
魚水宗匠 おめでとう!
流石ですね。
よく素晴らしい一句ができたときのことを「授かった」とか言いますね。
まさしく「すうっと降りてきた感じ」というのが今回の巻頭句に選ばれた
一句なのですね。でも精進してないと降りてきませんものね。流石です。
俳句は「詠む」、「読む」の両方ができて一人前と言われますね。
どちらもまだまだでお恥ずかしい限りです。
二三さん、ありがとう。
黒髭大将ことK君に誘われて俳句初めてからこんなに嬉しいことはありません。ためいき会のみんなに感謝です。
「伝法肌」は主に女性に対して使うもので、それがよかったのかな。おじさんでは当たり前すぎなので。
また一句ずつ積み重ねていきたいと思います。
魚水さん、おめでとうございます!
八月号の「山茶花」も未開封のままだったので、さっき急いで読みました。
純也主宰の評にある「ある人物の姿がおのずと想像できるところがいい」とあるのもいいですね。「一日一句」も読んでいなかったので、お祝いをいうのが遅れ申し訳ありませんでした。魚水さんの常日頃からの精進の賜物だと、私も嬉しくなりました。私の方、97歳の叔父が亡くなり2日、3日と留守にしていてどたばたとしていました。
これからも心に残る良い句を作ってくださいね。
南天さん、お久しぶりです。
ご不幸お悔やみ申し上げます。コロナ禍の暑い最中ですから大変だったことでしょう。
結社の雑詠巻頭というのは、もう二度とないという風になかなかその栄誉にはあずかれないものです。ですが、これを励みに納得できる句を授かれるよう、さらに上を目指そうと思います。
ためいき会でもよろしくね。
おまけ汲む伝法肌の浅蜊売
巻頭句に取り上げられた由、好い句ですねぇ。
ほだかさんは極くたまに、荒っぽいしぐさや、荒れた風景を詠われますが、とても新鮮で好いですねぇ。
「伝法肌」。小学生の頃、すぐ近くに東映直轄館「大宮東映」があり、100円玉を握りしめ毎週通っていました。第二東映作品で常連の美空ひばりは、もろ肌脱いで啖呵を切るのが見せ場で、伝法と言えば、美空ひばりです。でも伝法肌の浅蜊売りは意外で、加えて、「エ~イ、サ-ビスだ、もってけ!」と、おまけをする浅蜊売りなんて・・・。どうやって、こういう風景が浮かんでくるのか。
作曲家などが言いますが、ふっと降りてくるときがあるんですよ。このときはたまたま題が「浅蜊」で、普通なら食する、料る、採取するなどがまず頭に浮かぶんですが、このときは「売る」シーンを考えていました。
すると、どこかの観光地の特産をアピールする海鮮市場の絵が浮かんできたのです。それが浅蜊でもなんでもよくて、ただ威勢のいいお母さんのイメージでした。
そこで枡売りの浅蜊を店頭に置いて、浅蜊を山盛りに売る元気なお母さんとなったわけです。そこから「伝法」が降りてきたわけです。
このように書いてしまうと俳句はつまらないものになるのですが、一旦詠んでしまえばあとは読者の想像に任せることができるのも俳句の醍醐味です。