夏至の日の沈むに間ある端山かな
爽快な夏至であった。
梅雨というのに湿度が低く気温が高くとも風が涼しい。
菜園でササゲやインゲンなどを植え、信貴山の方を仰ぐと6時までにはいくぶん余裕がある間合い。夢中になっていると猫どもの夕食の時間の6時を過ぎてしまいがちなので、時刻を計るのに夕陽の位置が賴りとなっている。時計はもたなくても最近はだいたいの時刻は分かるようになった。
帰ってみれば6時15分ほど前でぴったし。
これから日が短くなってくるので、その感覚も徐々に身についてくるだろう。
ちなみに時計をもたなくなって久しい。時刻は携帯賴りだが、これも畑には持って行かない。作業するうえでポケットには邪魔なのである。飲み水や苗、菜園道具以外何も持って行かないのだ。
ナス1本が元気がない。だからすぐに虫が来る。今日は予備の苗に植え替えた。
時計を気にせず陽の入日で生活するって何となくいいですよね。
昔は皆そんな生活が当たり前だった、時間に追われず暗くなれば仕事を終える、そんな自然なことが当たり前でなくなってきて久しい。
機械的な音も、デジタルな文字や数字も、そんなものは一切ない畑にいて、自然のなかのパーツにすぎない自分を感じるのが最高の時間であるとも言えます。
素晴らしい環境の写真をアップしようにも、アングルをうまく切り取れないので気が向いたらカメラなどもたまに持って行こうと思いますが。
夏至の日の沈むに間ある端山かな
爽快な日々が続きますね。
しかも自然に寄り添う晴耕雨読の日々。感動の日々が目に浮かぶようです。俳人の手にかかれば湯水のごとく名句につながるのでしょうね。わたくしの場合、ここからが苦吟の日々になります。夏井いつき先生の添削にいつも舌を巻いております。ああ~凡人の日々が今日も続く。
夏木流は真似しないがよろしい。発想を飛ばそうと思わないで、事実だけを述べることを念頭に置けば自然に詩になります。今年のNHK俳句岸本尚毅師の句が典型的です。事実は創造より強し。