尚武に通ず

鳥の名を冠するもあり花菖蒲

江戸時代に品種改良がさかんだった花菖蒲。

菖蒲は尚武につながるということで特に武士階級に人気であったようである。
そのおかげで今では各地の菖蒲園でさまざまな品種のものを見ることができる。
写真の手前左が「郭公鳥」、真ん中が「磯千鳥」と言うのだそうである。

当地の菖蒲園といえば柳生花しょうぶ園らしいのだが、ここでは約80万本460品種が見られるという。残念ながら今年はチャンスがなかったので来年こそはと思っている。

“尚武に通ず” への4件の返信

  1. 菖蒲は尚武に通ずるですか、なるほどね。
    色々名前ついてますね。ボクが先日行った菖蒲園では「光源氏」も「夢浮橋」もありました。

    源氏物語では「蛍」の巻の歌に3つ続けて「あやめ」が歌われています。「蛍」飛び交う今の頃が「あやめ」「菖蒲」の時季だったことが分かります。

    五月の節句に備え「あやめふく日」に芭蕉は仙台に入り、風流人に諸所案内してもらい、お礼の一句を残してますね。

      No.19 あやめ草足に結ばん草鞋の緒 (6月22~23日頃か)

    もう松島を越えて今日6月26日は石巻です。早いもんですね。。  

    1. 花菖蒲は一部階級のものとして、一般にはアヤメ、カキツバタが愛でられたのでしょう。アヤメ、蛍とも同じ季節。我々が生きている今も全く同じ時候ということで、結局人の一生なんて繰り返す季節に沿って生きているにすぎないと思えてきます。

      芭蕉と同じ季節を歩むという趣向はなかなか面白いもんです。

  2. 花菖蒲って各地でいろいろ優美な名前が付いていますが正式な学名なのでしょうか?
    色も名前も素敵だけど尚武につながると聞けば何だか勇ましくも思えてくるから不思議です。

    四日間の三重暮らしで是非とも蛍に出会いたいと思い日暮れを待ちましたがかないませんでした。
    ちょっと時期的に遅かったかな?
    河鹿蛙の鳴き声が聞こえ同じ蛙でもこうも違うものかと・・・

    帰り、三重県立美術館の「曽我蕭白展」に立ち寄りました。
    今、米ボストン美術館所蔵の「雲竜図」が話題になっていますが当美術館では斎宮の旧家、永島家伝来の44面の襖絵が出色でした。
    伊勢地方を放浪し、当地に多くの作品を遺したそうです。
    奇想天外、型破りな絵に最初は驚き、気味悪かったのが見てるうち、だんだん滑稽で憎めなく魅入ってしまいました。

    「おくの細道」 次はいよいよ奥州、平泉ですね。順調です。

    1. 品種名であることは間違いないでしょうけど、正式名かどうかは私には?です。

      蕭白の絵が伊勢にもたくさんあるんですね。今でいえば棟方志功風のダイナミックな絵で当時としては破格なものだったはずでよく残ったと思います。

      ところで神仏分離だの廃仏毀釈だの明治政府の馬鹿げた政策で貴重な日本の芸術・美術品が海外に流失しましたけど、同じくかつて海外に流失した中国の美術品が今盛んに買い戻されているようです。貧すれば鈍すではないけれど、自分たちの価値を正統に理解し得ないで、海外の人にしか理解されなかった時期、歴史があったことは寂しいものがあります。

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