気後れ

旧質屋通用口の花菖蒲

もうとっくに廃業したとみえる質屋の構え。

利用客がかつて人目をしのんで出入りしたであろう通用口が今でも残されていて、その黒塀の内に立派な花菖蒲の群落が垣間見える。
おそらく営業中の頃から植えられていたのだろうが、いまでも大事に手を入れていると思われる。
いくらか気後れや後ろめたさの残る客の気持ちをささやかにも和らげようという主の心遣いだったのかもしれない。
今ではキャッシングやインターネットでの中古品売買が盛んとなり負のイメージはまったくないが、質屋という商売も時代につれて変わらざるを得ないが、貧乏な学生時代に何度か利用したことがあってせつない青春時代の記憶がよみがえってくる。

弱者にやさしく

花菖蒲老々介護の車椅子
車椅子老が押し行く菖蒲園
木橋に譲り譲られ花菖蒲

花菖蒲の真っ盛りである。

県立民博公園の花菖蒲

相変わらず「あやめ」も「かきつばた」も「花菖蒲」も区別できないが、菖蒲園とあるから「花菖蒲」なんだろうくらいに思っている。
たしか、「かきつばた」は紋の色が白だけというシンプルなものだから見れば分かるかもしれない。

民族博物館のある県立公園の菖蒲池は規模は小さいながら、しっかりとした造りのゆったりとした木橋がかけられていて車椅子がすれ違うことも可能なくらい広い。
高低差も少ないので、老々介護の車椅子でも楽しめるようになっていた。こういう細やかな配慮は健常者にはわかりにくいところだが、よく考えられていると一人納得するのであった。

味消し

作務僧の姉さんかぶり花菖蒲

作務衣を着て姉さんかぶり。

若いので学僧なのだろう。同じく唐招提寺の若い職員に混じって、花菖蒲の束を剪り整えている。仏様に供える供華の準備をしているようだ。

おりしも翌日から鑑真和上の忌に因んだ開山忌舎利会が始まろうという日の光景であった。

掲句もボツの句。元の句は先日の、

作務僧の供華に剪りつむ花菖蒲

「剪りつむ」では味消しか。「整ふ」のほうがよかったかな。

八つ橋の

光琳の配置もかくや花菖蒲

表紙写真は早咲きの花菖蒲らしい。

菖蒲園にはいろんな種類があるらしく、それぞれに名札がたっているが、今はほとんどがまだ蕾ができるかどうかとい時期のようで、上のように咲いているのはごく一部であった。
八つ橋を真似た木道のそばで咲いていたこの花の並びは、ぱっと見ただけで尾形光琳の屏風絵(ただし、あれは燕子花だが)を思い出させる構図をしているのが面白くて写真に撮り、句にも詠んでみたのだが。

尚武に通ず

鳥の名を冠するもあり花菖蒲

江戸時代に品種改良がさかんだった花菖蒲。

菖蒲は尚武につながるということで特に武士階級に人気であったようである。
そのおかげで今では各地の菖蒲園でさまざまな品種のものを見ることができる。
写真の手前左が「郭公鳥」、真ん中が「磯千鳥」と言うのだそうである。

当地の菖蒲園といえば柳生花しょうぶ園らしいのだが、ここでは約80万本460品種が見られるという。残念ながら今年はチャンスがなかったので来年こそはと思っている。