ものかげに気配消したり旱猫
どんなに暑かろうが寒かろうが、大雨であろうが雪であろうが入ってこない。
しかし庭の周りのどこかには居るみぃーちゃんである。小さい頃よほど人間に痛めつけられたのであろう、そのトラウマから10年間棲み着いているが食事以外のときは決してそばにやってこない。
この季節、道路など地表近くの温度は50度以上にもなるだろうから、日向の中を歩くのも火傷覚悟の移動のはずである。水を置いてある場所へも日が当たる昼間は寄りつかない。現に、幼い迷子の茶虎が三年前の今ごろ我が家にたどり着いたとき、前後の足指すべて爛れていた。昔とちがってよほど山間部でない限りほとんどの道路は舗装されているから、動物たちにとっては移動の時間が限られる季節でもある。
三食をもらいに勝手口に来るみぃーちゃんが今日昼になってもやってこない。どこか涼しい物陰にいるのだろうが暑くて来れないのだろう。あるいは暑さで食欲がないのか。
よくあることだからそんな風に考えていたが、たまたま外へ出たらまだ日陰になっている北側の室外機の下にうずくまるようにしているではないか。声を掛けたら鳴いて返事するので餌を用意したら寄ってきた。
家猫とはいえ外で暮らすことを選んだ自由の見返りが、この異常気温のつづくなかで命をつながなければならないかの苛酷を思う。
日増しに暑くなる今日この頃いくら自由気ままな野良暮らしと言えどもこの暑さを乗り切るのは試練でしょうね。
どんなに過酷な状況に置かれても甘えないのは野良暮らしを選んだ矜持でしょうか?
いえ、選んだのではなくて人間の勝手でやむを得ず野良になったとしたら可哀そうすぎます。
極端な用心深さが子供たちにも移って家の中に居る子たちも臆病です。小さい頃おおらかだった茶虎も影響されて、ピンポンが鳴ると飛んで逃げます。