雨あとの草みな伸びて茄子の花
ひと雨で景色が一変する。
庭もそうだが、耕作放棄地などにはどこも夏草がぐんと背を伸ばしている。たくましいと言えばそれまでだが、農耕をはじめてこの方、人類と草とは永年の戦いの歴史がある。草を抑えなければ作物はできないし、農業とは草との折り合いの歴史そのものであると言ってもいいだろう。
鎌などの農具も近代までは古今東西を問わず同じようなものが誕生している。現代はずいぶん近代化、機械化されてより迅速に、より短時間に、大量の作物生産が可能になった。
政府は大規模化を目指しているようであるが、零細な、細分化された農地が多いこの国ではたしてそれだけで農業再生ができるかどうか。見放された土地の荒廃がさらに進むだけのように思えてくるが。
インドを原産地とする茄子は水をもっともほしがる。雨がつづいて茄子の花がさらに増えたような気がする。
堤防に草刈り機が入った。
少し前から気がかりだったがやっと斜面の半分が刈り取られた。
パソコンを置いている目の前から堤防が一望できる。
その向こうには竹藪がありもうすぐ破竹があがる。
雨後はさらに成長しているかもしれない。
二月で大人の竹になるくらい、その生長スピードは驚異的です。各節でそれぞれ伸びるので加速するわけです。
竹の子もタイミングを失するとあっという間に1メートルも伸びて、驚くほどですね。
破竹ではなくて淡竹(はちく)という字を使うことを知りました。
これが孟宗の筍が終わり今頃の時期に河川敷の藪で取れるのです。
こちらでは終わったようですが、そちらはまだ大丈夫ですか?
雨あとの草みな伸びて茄子の花
茄子の花って、あのナスビと同じ色をしており、偏見ですが、気味が悪いですね。そもそも、紫色って難しい色なんですね。句は雑草の中から、茄子の花が伸びている様を詠まれていますが、この逞しさが、また、不気味なんですね。題の「荒廃」は言い得て妙です。
茄子の花、可愛いですよ。色も赤に近いですし、花殻になるころ小さな固い実がのぞいています。