海たりし地の屋高く麦酒園
梅雨入りが遅れている。
遅れて困るのは水が命の農家であるが、長いことサラリーマン生活を送っているときこの時期の社を出たあとの時間の楽しみと言えばビール園だった。職場の仲間と連れだってジョッキのお代わりを楽しみ、枝豆をぱくつく。
この時間があればこそ、一日のいやなことなどきれいさっぱり洗い流され上機嫌でみんな地下鉄に消えていく。
つくづくと思うのだが、社のみんなと吞むときはやっぱりぺいぺいの時代がいちばん輝かしい。昇進がちらついてくるような年代になると、どこかよそよそしくなったり、吞む仲間が固定してきたり、心から冷たいビールを楽しめなくなるのだった。
今は自由でいつでも呑めるようにはなったけど、どういうわけかノンアルコールしか受け付けなくなったのはまた淋しいものである。
そんな経験はないけれどなんだかわかるような気がします
気楽に何の憂いもなく飲み騒げるときが・・・
考えてみれば、自分のカネ出して吞むわけだから気のあった仲間たちだけで楽しまなくちゃいけないんだけど。今はつきあいのための飲み会というのはめっきり減ってるだろうし、コロナというのは世間の当たり前を見直すいいきっかけにはなったのが救いというものでしょうか。