ま幸くあらば

飯を盛ることなく椎の落葉かな

仮宿に盛飯なかりし椎若葉

万葉植物園ではところどころ草木が詠み込まれた歌碑が建っている。

大きな椎の下には有間皇子の歌碑があった。

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(有間皇子 万葉集 巻2-142)

高校の教科書にあった懐かしい歌である。謀反が発覚し熊野に行幸している斉明天皇のもとに送られる途中詠んだ歌だと、後になって知って深い感慨を覚えたものである。

この時期、椎や樫などが若葉を茂らせるようになると古い葉がしきりに落ちる。「椎若葉」も「椎落葉」もともに夏の季語であるが、かたや新しい命を、いっぽうは去りゆく命を詠む。歌碑の周囲一面の椎の落ち葉は、若い命を散らせた皇子と重なって見えてくるのだった。

“ま幸くあらば” への6件の返信

  1. 笥を携帯の辞書で調べると家にあればーーの句と一緒に出てきました。
    有名な詩なんですね。
    家だと皿に盛る飯を枕にして寝た。旅の途中では椎の葉をお皿にしてそれを盛った。

    家でご飯を枕にして。。?

    1. 夏目漱石の小説でも有名な「草枕」というのは、元の意味は「旅の途中野宿する」で、これが「旅」にかかる「掛詞枕詞」となっています。だから「家だと皿に盛る飯を枕にして寝た。旅の途中では椎の葉をお皿にしてそれを盛った。」という意味になるんだよ。皇子なんだから普通なら旅の食事もみんなと一緒で賑やかだったろうし、そんなに粗末なものではなかったはずなんだけど、孤独な護送の途中だからなにもかもが非常に心細い旅だったに違いないと思うよ。
      「旅だから飯を葉っぱに盛ったよ」という単純な歌ではなくて、そんな背景も考えながら読むと深い感慨を味わうこともできるね。だからこそ、万葉集にも採取されたんだと思う。

      補)「掛詞」は南天さんの指摘で「枕詞」の誤りでした。

      1.  「掛詞」でなく、「枕詞」ですよ。
         ちょっと気になったので、コメントしました。

  2. ご無沙汰してすみません。

    「万葉の旅」、該当のところ読み返しました。権力争いはいつの時代も残酷ですね。皇子の二つの歌は哀れを誘います。椎の葉ってそんなに大きくないと思うのですが、「朴の葉に盛る」では歌にならんですもんね。

    1. 有間皇子は若さゆえの未熟さから敵方の策略にやすやすとひっかかたんでしょうね。のちの大津皇子の場合もそうですけど、心を許した人間に裏切られています。相手を陥れるためには手段を選ばない、そんな血なまぐさい政争が繰り広げられたのが奈良時代ですね。

      葉に盛ったのは一説には神前に供えるものだったとも言われ、大きさは必要なかったのかもしれないですね。

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