みささぎの常世と隔て夏あざみ
結界のこちら現世夏あざみ
宮内庁管轄の陵墓は立ち入りが厳しく制限されている。
周囲は厳重な柵が設けられているのだが、神功皇后陵ではその結界に沿って咲いている夏薊の朱紫が鮮やかに目に映った。薊には罪はないけど、まるで現世のあだ花でもあるように。
実は、この句はある句からヒントをいただいたものだ。
当日一番に詠みたかった光景なのに、「結界」という言葉が思い出せなくて時間内にどうしても詠めなかったのだ。ところが披講、選句となって、
結界の外に一輪夏薊
を見て眼から鱗の思いで第一に選句させてもらった。そう、キーワードは「結界」だったのだ。神聖な領域のすぐ外に鮮やかな夏薊。現世のはかなさ。単にそれだけを言うために。
この句から類想の「常世」が生まれたというわけだ。
何とお見事!!私好みでもあります。
みささぎ 常世 夏薊がうまく結ばれていて本当に素敵な句です。
思い出せなかった「結界」を「隔て」で表現されたのもかえっていいのじゃないでしょうか?
みささぎの常世と隔て夏あざみ
結界の外に一輪夏薊
甲乙つけがたいですね。
まだまだ推敲が必要な句だと思ってます。というのは、skyblueさんがおっしゃるように一句の中に「みささぎ」、「常世」、「薊」の三つがあるのですが、どうみても多すぎるのです。とくに「みささぎ=常世」ですからね。こいつを何とか整理したいと悶々としているのですが。
推敲句を追記しました。
ほほっ~ 常世に対して現世ときましたか。
皆さんのコメントも仰いでみたいですね。
いずれにしても犯しがたき気高さが感じられます。
お二人の俳句談義をお聞きしてていいなあと思いました。やはり俳句を詠むには言葉ですね。結界とか常世とか日常生活では使いませんからね。それがこれらの言葉一つで見事に世界が描き出される。17文字の極短詩故に尚更言葉が大事なのだと感じました。今までに知らない言葉だといくら考えても出てこないし。普段からの勉強と調べまくる努力が必要なんでしょうね。奥の深さを痛感します。
アザミは春の季語かと思いましたが夏をつけて今頃咲くアザミを表す。そういうのも参考になります。
「今までに知らない言葉だといくら考えても出てこないし。普段からの勉強と。。。。」
そういうことなんですね。ですから晩学の俳句は苦しい。今までの読書量なり、教養なりの積み上げてきたもののなす技なんですね。
そうは言っても、そこで諦めないでゼロから勉強してゆく姿勢も大事だとは思うんですよね。自分なりにくぐってきた人生で得られたものも総動員して。
これは句材そのものに心惹かれます。
すっきり、きっぱりと言い切った句、いいですねえ。 結界が効いています。
その場所に行っていないので、ほだかさんの文章から想像して私も一句
少し柔らかな表現にしたつもりですが、どうでしょうか。
そうなんです。句材として久しぶりにやる気をそそられるものがあります。どんどん挑戦してください。
ただ、「結界」をさけるための「境の外」はないかもね。
どんどん一人歩きしていきそうです。
今、新聞を読んでいましたら元婦人画報の編集者、谷村鯛夢氏の以下の言葉が目につきましたのでご紹介します。
たった17音で表現する短詩、この短さのゆえに、一つの言葉の中に季節感や幾つもの意味、ニュアンス、歴史や地理の知識などを詰め込みます。
ですから作者、読者双方にある程度の教養が求められるとありました。
やはり付け焼刃ではだめだなと思い知らされます。
ほだかさんと共に精進したいです。
「俳風」というのがあって、ひとそれぞれの醸し出す味なんですが、ただあるレベル以上はないと口に出すのもおこがましいですね。まさに今流行の「人間力」をはしなくも晒してしまうのが俳句だと思います。