夢の跡

一と目では墳墓と分かぬ茂かな

奈良盆地は墳墓だらけ。

王陵はもちろん、渡来人含めた大小の豪族の墳墓があまた点在する。
クルマで走っていても、こんもりした形をみると多分古墳だろうと思われる箇所が多いが、あまり解明されてない丘などは夏の木、夏草に覆われて果たして円なのか方なのかさえ見分けがつかないほである。
ほとんどの古墳では埋葬者さえ定かでなく、新しい発見や見解が出されるたび古代史ファンとしてはわくわくする。

古代といえば、最近大阪高槻のほうで、弥生前期の頃の水田の跡と墓が見つかったという。環濠が形成され定住がはじまった頃とされるが、それはまた収穫した作物を収奪しようとする集落の争いの歴史の始まりでもあった。幾度も争い、吸収し吸収される過程でユニットが大きくなり、やがてヤマト政権につながっていったのであろうか。
古墳を見るたびに、あたりに君臨した主を思い、従った民を感じるのである。

“夢の跡” への2件の返信

  1. 文字がなかった時代を探るのは難しいですよね。
    文字や年号のおかげで、時代の積み重ねを理解できますが、それがないと漠然としか捉えようがないです。
    想像の世界は楽しいですが、歴史として考えるとその拡がりに戸惑ってしまいます。

    1. 縄文、弥生時代を知るには遺跡・遺物がすべて。それらの展示を見ると、数千年のスパンがまるで望遠レンズのように圧縮されて近く感じますが、やっぱりはるか遠い世界ですよね。

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