恬淡と

夏至の日の腕に時計のなかりけり
ノー残業夏至の巷の火照りして
夏至の日や明日より残照惜しまんか
夏至の湯を日のあるうちに立てにけり
夏至の湯に浮かべるもののなかりけり
夏至の湯に白きブリキの船もがな

夏至の日を理由に時計を外したわけでもない。

俳句をやるおかげで、暦、二十四節気、七十二候など季節のものには心動かされることが多くなったが、通勤電車とも無縁だし時刻そのものに左右される機会は明らかに減っている。
外出するとき腕時計なるものを巻かなくなって久しい。必要ならば、どこに行くにも必ず持っているだろうから携帯電話で見ることができる。
第一、この暑さである。皮バンドなどとても不快な代物で、これを金属のものに替えたところで、手首の辺りがジャラジャラしてはかなわない。
この季節、適度に灼けた半袖の腕がむき出しになる。その腕には何もなにも身につけてないし、その手首にも時計の跡すらもない。この季節だからこそ見えるシーンではないだろうか。

歳をとっていいと思うことは、どこに行こうと身につけたり携帯したりするものが少なくて済むことである。その恩恵を最大限に活かさずして何の毎日であろうか。
腕時計にかぎらず、ものに頼らず、名からも己を解き放って恬淡とした日々を過ごすのが願いである。

“恬淡と” への3件の返信

  1. 誠にその通りです。
    近頃若者もあまり時計をしていないような気がします。
    我々世代は良い時計を持つのが一種のステータスのような時代でした。
    溢れる物に囲まれておまけに整理整頓下手ときては目も当てられません。
    恬淡と暮らしたいです。

  2. 今日は現代俳句風に詠んでみました。
    これまで詠んだ句を眺めてみて、自分の顔が見えてこないのに暗然としております。
    結社の風とは違ってしまうかもしれませんが、もっと自分というものに迫ってみたかったのです。

  3. たまには写生風ではないこのような句も新鮮で良いですね。
    おや?と思わせるのも趣向かもしれません。

      見回せば足の踏み場もなかりけり?

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