業物は手包丁なり沖膾
夏休みに訪れた友人の親戚は漁師だった。
あさから舟を出しボート遊びに興じていたが、やがてそれにも飽きた友人は海に飛び込んだ。戻ってきた手には鮑が載っており、さっそく手でさばいたと見るとそれを海水で洗いそのまま口に運ぶ。お前も喰えとばかり囓りかけの鮑をもらったが、醤油も山葵もなにもつけない身は潮水との絶妙なマッチングで、こんな旨いものが世にあることを初めて知った。
以来、寿司屋に行けば鮑は必ず頼むが、さらにその腸がまた格別旨いものだと言うことも大人になって知った。
ただ、食い過ぎるのは尿酸値にはよくないと聞いてからもう随分長い間遠ざかっているのはちょっと寂しい気がしないでもない。
沖膾ってそういう意味ですか。夏の季語なんですね。
ワイルドライフ、いいですね。海に山に自然への親しみ度で人生の豊かさも変るんじゃないでしょうか。
歳時記を眺めるだけではなかなか挑戦しづらい季題も、結社に属していると刺激を受けてやってみようかという気になります。
たとえ、見聞きしたことがないものであっても、文献で調べたり、戯曲を書くように自分で演出や想像してみたり、そんなことをしていると俳句が自己表現としての文学であることをあらためて感じることができます。才能はさておき、それまでの人生以上のことはできないものだということを痛感してるわけですが。
豪快な漁師らしい食べ方ですね。
素潜りの取りたて一度味わってみたいです。
沖の潮風に吹かれて新鮮この上ない魚介類、いいなぁ~
ウニもそのまま食べたことがあります。
山国にいるとよけい懐かしい思い出ですね。