困ったときの馬見丘陵

樹の姿祝て欅の若葉かな

歩くものである。

晴天の続いたこの三日間、吟行三昧の散歩に浮かれた。
慣れというのは恐ろしいもので、ちょっとしたヒントから句を授かるなど、感覚が澄まされていくような気持ちになる。
掲句は、そろそろ切り上げるかと思った頃、大きな欅を見上げては形をほめながら過ぎゆく二人連れから着想を得たものである。
取り立ててあれこれ説明するまでもなく、ごくありふれた句だが、妙に安心する句ではないだろうか。

ヨシキリの声も間近に聞いたし、困ったときの馬見丘陵である。
今日はどの団体かは知らぬが、バス三台を列ねる吟行グループもあって、この時期の句材が目白押しの公園なのだと再認識させられた。

“困ったときの馬見丘陵” への2件の返信

  1. 吟行三昧の日々、けっこうですね。外を歩くのが一番。趣味(俳句)と実益(健康維持)を兼ねて。そういう場所が近くにふんだんにあって。羨ましいです。

    山法師の写真、いいですね。私の机の前も山法師、満開です。

    1. 山法師は、ちょっと遠見にはまるで白綿をかぶせたように見えますね。葉の上に顔を揃える特徴をよく表していると言えます。書斎はさしずめ山法師明りでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください