下闇に暗む眼の閻魔堂
天武天皇ゆかりの矢田寺へ。
山門から200余の急な石段を登ってようやく諸堂にたどり着く。
着くやいなや、ホトトギスが迎えてくれるは、開花したばかりの沙羅、泰山木の花、そして一万本の紫陽花。
紫陽花の咲き満つ谷筋に入ると、折から降り出した雨に紫陽花たちも生気を取り戻したかのようだ。
後ろに控える丘陵をめぐれば西国八十八カ所を模した遍路道もある。行程1時間半だというので、八十八番目、すなわち結願の薬師如来さんだけお参りして御利益を願うという厚かましさ。
この六月だけ開帳されるという閻魔大王さんの前では、脇侍もまじえたあの世の裁判を詳しく解説していただく、いわば絵解サービスもあって、ひたすら腰を低くして聞くばかり。閻王の黒い眼の底知れなさに思わず身震いするのであった。
深川ゑんま堂(江戸ゑんま堂)に何年か前行ったことがあります。
色鮮やかな新しいもので、お賽銭を入れると説法が始まって、びっくりしました。友達と二人で思わず笑ってしまいました。
これでは、ゑんま様も恐ろしい存在ではないですよね。
現代に合わせた結果でしょうか?
可愛いと言えば、奪衣婆。恐ろしい名前で、亡者から衣服をはぎ取るという実も恐ろしい鬼婆ですが、閻魔大王様に寄り添っているのを見ると、何となく滑稽に見えてくるから不思議です。
その辺りを突いたか、俳句では閻王(夏の季語)と並んで人気の役者です。
矢田寺、HP見せてもらいました。大きなお寺ですね。沙羅に紫陽花、梅雨時にぴったりでしょうね。
ゴルフで行った那須山荘では朝に夕にホトトギスを聞かせてもらいました。
昨日は名句に出会えました。
ホトトギスは俳句に盛んに読まれますが難しい題でもありますので、これほど季題にマッチした詠みには惚れ惚れしてきます。それだけで、吟行に出た甲斐があったというものです。
この作者の近作には、ほかに、
カーテンのわずかな動きに薄暑を見たという作品には声もありません。席題による即興の句だそうです。
吟行では同じ景を見て、かくも力の差があるかを感じさせるものがあり、独学ではとても学べないものです。
「こと」にとらわれる傾向にある魚水にとって、昨日は、季題に対する根本姿勢を問われ直された一日でもありました。
雨にうたれた一万本の紫陽花、さぞや見応えがあったことでしょう。
閻魔さまには何をお願いされました、ナイショ?
ホトトギスって俳句にも和歌にも多く詠まれていますね。
見たこともない鳥ですが歌に詠まれているだけで憧れです。
閻魔さんですから、ひたすら平身低頭、ただただ頭を下げるだけです(笑)
ホトトギスは人里に近いところにおりますので、どうぞお近くへお出かけください。かといって、姿をみることはなく声を聞かせてもらうだけですが。
小さい頃、ものの本で三河・鳳来寺に仏法僧が鳴くと知って以来一度は聞いてみたいと思ってるのですが、今はどうでしょうか。
鳳来寺はS40年代の初めに一度行ったことがあります。
季節がいつだったかも全く記憶にありません。
長い石段を上った記憶だけが鮮明です。
本当に仏法僧と鳴くのでしょうかね?
それもきっと季節があるでしょうね。
本当なら私も是非一度は聞いてみたいものです。
全然、句の鑑賞とは かけ離れますが
この矢田寺と言うのは 先月末取り上げられた
矢田坐久志玉比古神社と 何か 関係が あるのでしょうか?
結びつきは特にないようですね。天の磐船伝説の地だということから「矢田」と名づけられた地域の名前と、その名をいただいた矢田丘陵(生駒山地と奈良盆地の間にある低い山地)の矢田山にある寺ということでしょうか。
お寺のゆかりは矢田寺の公式サイトをご覧ください。森に囲まれていて、遠見では想像できないほど立派な古刹です。地元の人の話では、子供時代は今ほど有名でなくて自由に出入りできたと、いかにも奈良のお寺という感じです。