小夏日和

冬耕やときに望まぬ殺生し

来年春に備えて新しい畝を起こした。

スコップや鍬を土に食い込ませれば、可哀想にもミミズがのたうち回ったり、冬眠に入ったばかりと思われる大きな蛙を起こしてしまったり。
そのたびにごめんね、ごめんねと誤る。
止むを得ない殺生とは言え、人の営みというのはときに自然の循環を断ちきらねば成り立たないところがあって、SDGsを達成するにも人はまず自然の前には謙虚であることが必要要件となる。
耕しによって半年先の成果をいただくにも、微少な菌はじめ虫や蛙などの助けが必要なのは言うまでもなく、畝にしゃがんではただぼうっとしている時間がいとおしくてならない。
ところで、昨日が立冬だとばかり思っていたが、今日の間違いだった。
しかし冬とはいえ今日も日中は暖かい。高気圧が真上にある状態だから小春日和の典型のような日であるが、25度を越えるようなところでは小夏日和と言うのが正しいか。

謝る

冬眠のかはづ起こして冬耕す

二日がかりでサツマイモを植えていた畝の手入れを終えた。

いつの間にもぐり込んだのか、わずか四メートルの畝から冬眠中とおぼしきカエル二匹も出てきた。
あわてて逃げようとするが、冬眠中で活性モードではないようで動きがすこぶる鈍い。そこでそれぞれ手にのせて他の畝に移してやった。
カエルにはなんだか悪いことをしたようで、ごめんごめんと謝りながら。

長い冬

水切をめぐらし冬耕おはりけり

ここらは二期作はしない。

米がとれれば荒起こしだけの田になることが多い。
桜井の辺りでは麦が作られるのだが。
田の外周りに深い溝を掘れば冬耕の仕上げである。田植えが遅いのであとは長い冬が待っている。

モチベーション

食扶持にもならぬ広さを冬耕す

冬耕と言うにはあまりにも大げさである。

今まではポット中心の野菜栽培を楽しんでいたのだが、考えることあって庭に畝をつくろうと発心したのだ。
1.2メートル巾の畝を二本、ごく短い畝であるが、ここにいくつかの種類の野菜を育てようと。
元来が無精なので、畝はいったん立てたらそのあとは耕さない、いわゆる不耕起かつ庭の雑草も抜かず草マルチに利用し、肥料や農薬は使わない。それなりの土になるには数年かかるだろうが、流行りの自然農の考え方でやってみようというわけだ。
種も在来種あるいは固有種中心に種から作ってみるかと。
雑草との闘いに疲れてしまうが、昨秋たまたま雑草を草マルチに活用できると聞いてトライしてみたら、意外に雑草刈が苦にならなかったことが発端だ。これなら、せっせと雑草を集めようというモチベーションが上がりそうだと思ったのである。
これで足りない、と言うか、もっといろいろ作りたいと思うものは今まで通りポット栽培で。
忙しくなりそうである。しかし楽しみが倍増しそうである。

眠る

育苗にあてる辺りを冬耕す

駅からの近道は田んぼのそばを通る径。

さすがに夜は真っ暗で通るわけにはいかないが、ここを通るたびに近辺の田仕事の時節を教えてくれる場所である。
先日通りかかったら、田の隅だけに畔が切られて耕してある。そのほかの拾い部分はいまだ穭が青々としたまま残されたままだ。
おそい大和の播種だが、苗床だけは早々とその準備が整っているわけである。
これから半年近くの間、盆地の田んぼは長い休みに入るのである。

人間失格

家事の間縫ひ自分の畑を冬耕す

野良着というのではなく、普段着である。

小さな畑に鍬をふるっている。
一家が食べるだけほどの小さな畑である。
いかにも家事の合間を縫ってちょっとした畑仕事をこなしているという風情である。
そのシルエットをしばらく見るともなく眺めたいたら、ふとこんな句が浮かんできた。
もちろん、雨の今日ではなく数日前の光景だ。
人間らしく生きるためには、どんな小さな畑も、つねに耕しておかねばならない。
カルチャーとはcultivateからきている。culturedというのは心が練れたひと、教養あるひとのこと。
義父は書をやるひとだったが、仏間に「耕心田」と自書の大きな額をかかげていたのを思い出す。
人間だけが「耕す」ことを知っているのだ。
耕しを忘れたら人間失格であろう。

寒村に生きる

冬耕や腰の曲がりの年々に
冬耕や腰が曲がればそれなりの
機械化のおよばぬ山に冬耕す
冬耕やこの代にして途絶ゆるも
冬耕や父祖代々に恥ずるなく

過疎化著しい山村の田畑を想像してみた。

山里の機械化するほどのこともない、ほんの猫の額ほどの畑が寄り集まった小さな集落である。
今までは一日もあれば片付いていた冬準備も、歳を重ねるごとに二日も三日もかかるようになった。老妻の腰の曲がりも年々深くなってきているようだ。それでも、これら先祖代々めんめんと受け継げられてきた畑を放棄することなど考えられない。
こんな不便な山村ではどの家の息子も娘も都会に出てしまって、跡を継ぐようなことは彼らの頭には毛頭ないのも当然だと思う。

これら時代の流れとすればしかたがないことだ。今はただ日々の暮らしの安穏であることを祈るだけである。