裸眼

古書匂ふ十一月の馬鹿陽気

五十年ぶりにペーパーバックを手に入れた。

驚いたことに細かい字が裸眼でまだ読める。その日のコンディションによって差はあろうが。
初版1944年の短編集で、ページ数にして470ほど。ペーパーバックとしては厚い方だろう。
入手したのは何版目か知らないが、かなり古いものと思われる。
高校時代にこうしたペーパーバック小説を読みあさったものだが、文字の大きさはその当座のものと同じだろう。辞書を引きながらせまい行間に日本語訳を書き込みながらよくも読んだものだと感心する。
さすがにもうこの歳ではそんな芸当はできないし、なにしろ別に知らない単語があっても訳す必要もない。どうしても意味が取れなければカシオの翻訳機で確認するだけだ。いまさら語彙を増やさなければという切迫感もないわけだし。
ランダムにページをたぐって斜め読みしてみたが、一ページくらいでは疲れないのを知って何だか元気がでてきた。短編だから、いくつかは苦痛なくこなせるという勇気も沸いてきた。
どのページを開いても古本独特の匂ひ。いいものである。

紅葉情報

身の震ふ雨に始まる十一月

冬が駆け足でやって来る。

週の前半は高めだが、週末には五度に冷え込む予報も出て、紅葉情報もスタートした。
例年そうだが、どうも冬のはじめは思い切り寒くて、年があらたまれば緩ぶというような傾向がある。
今年も年末寒波、師走寒波に注意した方がよさそうである。

冬場所

触太鼓市中めぐらぬ十一月

今日から冬場所。

新コロナの影響で場所を福岡から両国に移しての開催だが、初日前日に市中を練り歩く触太鼓も見られないのもまた寂しい。
土俵祭で、土俵周りをめぐるだけとなっただけでもよしとしなければいけないか。

寒い雨

もの軋む十一月の雨なれば

予報通り寒い一日だった。

朝いっときだけ日が射したものの、そのあとは重い雲が覆い、おまけに時雨を超えるような激しい雨が降ったりする厳しい日である。

急に真冬のような天気になると重苦しい空気に包まれて、見るもの触れるものすべてが日常ではなくなるような錯覚に襲われる。