水先は勇魚の潮よ宝船
宝船を描いた絵を、二日の夜に枕の下に敷くといい初夢が見られるという。
黒潮躍る外洋の宝船だ。串本を巡って熊野灘へ出る。
太地にさしかかるころ、大きな尾びれがあらわれて潮を吹きながら伴走してくれる。
鯨は万葉の昔から日本人の暮らしと深く関わってきた。髭から尻尾まで命を大事に頂くことで、感謝や祈りを捧げながら共存してきたのである。
遊びのために狐を狩るような民族、取って終わりの採取・狩猟民族の末裔から、あれこれ難癖をつけられてはかなわない。
さて、その夢だが、毎晩見ているのは確実だけど、朝になると、さてどんな夢だったやら、さっぱり覚えていないことが多い。
脈絡のない夢だったり、卒検落ちたらどうしよとかの強迫追体験だの、夢に目覚めたときは確かな記憶があるのだが、起き出してしまえばすっかり忘れている。そもそも、夢は眠りの深い底で見るものではなく、白濁した浅い眠りのとき見るという性格からして、霊感ある身なら別として、実生活にはなんの関わりもないことである。精神科医師にとっては大事なみたてとなることがあるようだが。どんなに科学がすすんだところで、人間の脳の働きのメカニズムが完璧に明かされるということはないと思うのだ。
だから、ロボットには俳句は詠めないと断言しよう。
昨夜もきっと夢は見たはずなので、
初夢は夢のまた夢十億円
どうせなら、縁起のいい夢を見たことにしておこう。