寒声や舎利弗ならぬ身のせめて
ちょっとオーバーかもしれないが。
朝に心経を唱えるのが習慣となって久しいが、このとき同時に呼吸や発声の訓練にも取り組んでいる。
腹から声を出せとか、頭に抜けるような感覚で声を出せとか、人によって言うことは違うが、いずれにしても喉を無理に使わないという意味では共通している。
呼吸が整い、うまく発声できていれば吐く息が飛ばないということである。大きな声を出さなくてもホールの隅にまで声が通るというのである。
そんなことも考えながら毎朝勤行に坐っているのだが、これが日によってバラツキが多いというのが悩ましいところである。
何年も続けていると、最後に10回「南無釈迦牟尼仏」を唱え終わると猫の小町(姉御猫)がすうっと消えてゆくようになった。このあと嫌いな掃除機が唸るのを知っているからである。
勤行の後は掃除というのが朝のルーチンとなっているからである。