ピアノがあれば

赤バイエル聞こえる窓に小鳥来る

ヒッヒッと鳴く鳥声が聞こえた。

あれは間違いなくジョウビタキである。
もうそんな季節かと晩秋の感慨に浸っていると、どこかのお宅からピアノ練習の音がもれてくる。
単純な音がたどたどしく聞こえるので、あれは初心者用バイエルであろうか。
調べてみると、子供の入門用は赤表紙と言って、片手で弾くことから始まる単純な音の連続である。初心者の域を脱すると黄表紙となって、両手で弾かねばならないのでだんだん難しくなる。
わが子も黄表紙までは進んでいたということだが、いつの間にかやめてしまった。
だがしかし、基礎が出来ていたので幼稚園では重宝されているらしい。
この稿を書いていたらたまたまニューヨークの街角ピアノの放送をやっていて、ピアノひとつできればいろんな国の人とも寸時に仲良くなれるのが楽しそうだった。引っ越しのときに古いピアノを廃棄してきたのだが、もし残してあれば呆け防止にピアノ練習できたのにと今さらながら悔やまれる。

小鳥の季節

小鳥来て窓に呼び寄す伴侶かな

特徴のある声とまわりの空気をふるわすような尾羽の上下の音。

まさしくジョウビタキだ。
40年以上経過した古い住宅地の一画でここ二日連続で目撃した。
どうやらこの子は男の子。
しっとりした家には庭木も多いので各家を巡回しているのだろう。
我が家にも毎年来ていたが、隣の空き地に家が建ったので今年はどうだろうかとちょっぴり心配している。
来てくれたらそれはまたそれで心配だ。なにしろ庭にはみぃーちゃんが日向ぼっこしている。

日に日に

祭日の新聞薄し小鳥来る

特徴のある鳴声だ。

朝刊を取りに出てすぐに気づいた鳥の声だが、ジョウビタキにちがいない。見回しても所在を確認できなかったが間違いなくジョウビタキが降りてきたのだ。
これから渡りの鳥たちが日に日に増えてくると思うと、冬の足音も悪くない。散歩の距離もおのずから延びてくるというものだ。

耳を澄ませば

小鳥来るさても年寄耳敏く

今日は年寄の日、老人の日転じて敬老の日。

毎年町から敬老会催しの案内がくるが、いまや5人にひとりが70歳以上というご時世に、相も変わらぬことを繰り返して何の疑問も抱かぬのだろうか。福祉施設に入っている人を大量に送り出せば、それなりに参加人員は満たせるだろうが、元気な老人は施設外にいっぱいいるのだ。
元気な年寄りはお仕着せの慰問など少しもありがたさを感じないだろうし、趣味も嗜好もまちまちでそれぞれが自分の生活を享受しているはずだ。
いよいよ老人大国に突入しつつある国の、年寄りたちが誰でもいつまでも元気に老いる施策というものに重点をおいたらいかがと思うのだが。

今日は朝起きたら耳慣れない声の鳥の声がした。ヤマガラなどはすでに目撃しているが、今朝のあれは何だったのだろう。
すでに、鵯が鵯らしい声で騒がしく鳴くような季節だが、鵙の声が待たれる時分となっている。

耳となって

枝つかむ音も羽音も小鳥来る

枝をわたる小鳥の声や羽音。

10数羽いそうな群れで林を移動中のところをしばらく眺める。
エナガ、シジュウカラ、メジロ、何種類かいるようである。
なかには、小さな啄木鳥・コゲラも混じっている。
餌を求めて枝から枝へ、木から木へと、どれも一カ所に留まることを知らない。
じっと耳をすませば小さな鳥でも羽音が聞こえるものだし、止まり木をつかむ音さえとどくのをひとりで楽しむ時間はいとしい。

自由の翼

小鳥来る華厳も律も隔てなく
律華厳好きに行き来の小鳥かな
小鳥来る律も華厳も自領にし

広い奈良公園に小鳥の声を聞くようになった。

東大寺(華厳宗)、興福寺(律宗)を含め、広いエリアすべてが小鳥たちの活動領域である。
人間たちは古くから寺領を定めて勢力を競ったが、鳥たちはそんなことには構いなく自由に各寺領を行き来している。

鳥の翼はまことに自由である。

ジョウビタキ

小鳥来る季節と知りぬ友の報

引越にまぎれて季節感がすっかり狂っている。
前住所の川仲間からの便りによると、ジョウビタキの飛来が確認されたそうだ。
すでに鴨の仲間は到達しているので、今頃はさぞO川は渡り鳥たちで賑やかなことだろう。
今日ちょいと出かけたとき、徒歩10分ほどの大和川に川鵜連中が川を横切るように一列横隊で並んでいるのをみただけ。
大和盆地にはこの大和川に注ぐ川が何本も走っていて、道路を走らせていると何度も橋を渡ることになるが、河岸の雰囲気からすると近場には大好きな翡翠は期待できないかもしれない。
時間がとれたら野鳥探しに行かなきゃ。